東北魂でチームけん引 花咲徳栄・小山主将

 東北の力を埼玉でも見せたい−。25日、県営大宮球場で行われた花咲徳栄浦和学院の一戦。花咲徳栄の主将・小山征護選手(18)は、東日本大震災で甚大な被害の出た宮城県名取市出身。震災後は野球を続けていいか迷った時期もあったが、被災者からの励ましを胸に、最後まで白球を追い続けた。

 小山選手の高校生活は波乱に満ちていた。花咲徳栄の雰囲気の良さに引かれ、宮城県から越境入学したものの、入学早々に右手首の靱帯(じんたい)を負傷。野球のできない日々を過ごした。けがから復帰し、野球に専念できたと思ったら、震災が発生。自宅は難を逃れたものの、津波で自宅を流された友人もいた。

 震災後、地元の友人らとがれきの撤去や遺品集めのボランティアをした。生きるのに必死な被災者たち。「野球をしてていいのか」。葛藤していたとき、ある高齢者と出会った。

 「野球選手は僕たちの希望だから。頑張って」

 その一言で、野球を続ける決心がついた。埼玉に戻ると、帽子のつばの裏に「東北魂」と書き込んだ。復興に向けて歩む東北人の力を、埼玉でも見せたかったからだ。当時いた80人近い部員一人一人とも会話をし、「一瞬の大切さ」を説いたりもした。あっという間に、あらゆるものを奪った震災。その教訓を仲間に伝え、野球に生かしたい。そんな思いもあった。

 この日の試合では、終盤まで0−2と苦戦。最終回も2死一塁。打席に向かう福島県出身の小林翔選手(17)に声を掛けた。「俺の分まで打ってくれ。東北のヒーローになるんだろ」。その思いに小林選手が応え、適時三塁打を放つ。あと1点。ベンチから懸命の声援を送ったが、最後の打者が二ゴロに倒れゲームセット。その場にうずくまり、しばらく立ち上がれなかった。

 大会では試合に出ることはできず、ベンチで声援を送った。それでも、「最後までトクハルの野球を見せてくれた。(春季大会初戦敗退の)どん底からここまで来られて、最後に素晴らしいゲームができた」とナインに感謝する。母親の幸恵さん(50)は「弱音を吐かず、立派に成長した」と目を細めた。

 今後は野球をやめ、子どもが夢を持てるプロ球団をつくる一助になるのが目標だ。そして「いつかは東北に戻り、いい東北をつくって恩返しをしたい」。野球を通して学んだことを武器に、新たな世界での飛躍を誓った。

埼玉新聞