3年間の思い 一打に 花咲徳栄3年 小林翔選手

 「3年間の思いをぶつけてこい」

 0−2で迎えた九回表2死一塁の崖っぷちの場面で、代打として臨んだ今大会2回目の打席。ベンチを送り出してくれた岩井隆監督の言葉をかみしめ、2球目の直球を振り抜く。打球は中堅手の頭上を越え、適時三塁打となった。

 福島県郡山市で生まれ育ったが、「花咲徳栄に入って甲子園に行く」。リトルリーグ時代にそう心に決め、故郷を離れた。

 入学後は苦労の連続だった。慣れない寮生活に加え、一年の秋季大会前、右肘の靱帯(じんたい)を傷め、二年の秋季大会後には左足の靱帯を切った。

 「大事な時期にけがばかり。野球に向いてないのでは」と悩み、父義光さん(42)に電話で「辞めたい」と漏らしたことも。「おまえがそれでいいなら、辞めればいい。やり残したことがあるなら、最後までやれ」。普段は優しい父の力強い言葉が心に響いた。同じ寮生の藤原涼太郎選手(三年)らも「おまえならできる」。正規の練習後も、寮生たちと打撃練習に明け暮れた。

 そして今大会、初めてつかみ取ったベンチ入り。最後に、春の選抜大会で2勝を挙げた浦和学院のエース佐藤拓也投手(三年)から、勝利へあと一歩という適時打を放った。

 これまでの努力、支えてくれた仲間への感謝−。三塁上で見せたガッツポーズと雄たけびには、「すべてが詰まっていた」。

東京新聞埼玉版)

◇自分なりの花咲かせる 花咲徳栄・小林翔選手(3年)

 2点を追う九回表2死一塁。今大会2度目の打席に立った。「オレの3年間をここでぶつける」。真ん中に入ってきた直球をフルスイングすると、白球は中堅手の頭を越えた。三塁まで無我夢中で走った後、ガッツポーズした。「努力は無駄じゃなかった」

 福島県郡山市出身。花咲徳栄野球留学したが、1年時に右ひじ、2年時に左足のじん帯を痛めるなど度重なるけがに苦しんだ。活躍する仲間をグラウンドの外から見守る日々が続いた。

「花よりも花を咲かせる土になれ」。この言葉を胸に、連日、バットを振り込んだ。しかし結果が残せない。何度も野球をやめようと思ったが、父義光さん(42)の言葉に奮い立った。「最後までやれ」。今大会、初めてベンチ入りした。

 「3年間よくやり遂げた。成長した」。試合後、義光さんに声を掛けられると、真っ黒に日焼けした顔がくしゃくしゃになった。「自分なりの花はオヤジに見せられたかな」。背番号「15」が大きく見えた。

毎日新聞埼玉版)

◇代打で浦和学院に一矢の三塁打 花咲徳栄・小林翔選手(3年)

 2点を追う九回裏2死一塁、「3年間の思いをぶつけてこい」と代打で送り出された。ストレートをフルスイングすると、打球は外野を深々と破る三塁打。1点を返したが、チームは惜敗。「めっちゃ悔しいです」と泣き崩れた。

 福島県郡山市の出身。リトルリーグの監督から、岩井隆監督が率いる花咲徳栄への進学を勧められた。走る野球が自分に合うと思い、野球留学を決心した。

 しかし、入部後はけがが重なり、なかなかベンチ入りできなかった。慣れない寮生活。自分は野球に向いてないのかと悩み、父の義光さん(42)に「やめたい」とこっそり電話をかけたこともあった。その度に「やめてもいいが、やり残したことがあるなら最後までやれ」と激励された。

 最後の夏の大会で、背番号15でベンチ入りできた。宿命のライバル、浦和学院戦。チャンスで放った打球は、強豪に一矢報いる大三塁打となった。

 甲子園出場はならなかったが、大学で野球を続けたいという。帽子の裏に書き込んだ座右の銘は、「花よりも、花を咲かせる土になれ」。この夏の経験は、将来もっと大きな花を咲かせるためのいい“肥やし”となったことだろう。

産経新聞埼玉版)