仲間への感謝胸に… 春日部共栄・竹崎裕麻投手

◇仲間への感謝胸に…春日部共栄・竹崎裕麻投手

 帽子のつばには、3年生部員全員の名前が書かれている。「エースになれたのはチームが支えてくれたから」。この日も仲間を信じ、投げ抜いた。

 入学時は野手志望だったが、本多利治監督が素質を見抜いて投手に抜擢。腰の故障なども乗り越え、県内屈指の右腕に成長した。

 抜群の制球力を誇るが、自他ともに認める負けず嫌い。「打たれるとカッとなり、さらに打たれる」(本多監督)のが欠点だった。そんなエースを救ったのが仲間の一言。「打たれた時ほどバックを信じろ」。すっと気持ちが楽になった。

 決勝では五回に2点を失ったが、その言葉を思い出し、すぐに落ち着きを取り戻した。六回から八回までの3イニングは、花咲徳栄に二塁を踏ませなかった。

 試合後の表彰式では、準優勝盾を若山大輝副主将の代わりに受け取った。若山副主将が「お前が行け」と背中を押してくれたのだ。「こんなに信頼してもらって、晴れがましかった」。

 あと一歩で届かなかった甲子園。「悔いはない。けれど、もう少しだけこの仲間と野球がしたかった」。夢は終わったが、手にした絆は永遠だ。

産経新聞埼玉版)

◇マウンド楽しんだ 春日部共栄3年 竹崎裕麻投手

 甲子園出場の望みはあと一歩のところで絶たれた。悔しいが、自分の力は出し切った。「野球を十分楽しめたんじゃないか」。こう考えると笑みがこぼれてきた。

 小学校入学前から「野球が好きでたまらなかった」。名前は、元球児の父文晴さん(45)が、「巨人の星」の主人公・星飛雄馬にあやかってつけた。その父と、休日には必ずキャッチボールを楽しんできた。

 中学時代、ゴム製だが重さと大きさが硬球に近い「Kボール」を使うチームに所属した。ここで頭角を現し、全日本選抜チームの投手として国際大会での優勝に貢献。本多利治監督の誘いを受け、高校は甲子園出場経験のある春日部共栄に進学した。

 昨年秋ごろまで、「打たれたり味方が失策したりすると頭に血が上っていた」(本多監督)。しかし、ピンチを想定したイメージトレーニングと、連日の10キロ以上の走り込みで心身を鍛えた。その結果、「ピンチを楽しめるように意識改革ができた」という。

 最後の夏は、大事な初戦と5回戦以降の4試合を一人で投げ抜いた。マウンドの感触を十分味わえたことに満足している。

(読売新聞埼玉版)

◇笑顔で戦い悔いない 春日部共栄3年・竹崎裕麻投手

 今春の県大会。準々決勝で花咲徳栄に敗れると本多利治監督から「笑顔禁止令」が出た。仲の良いチームで互いの欠点や失敗を「笑い」で済ませることがあった。「本音で言い合わなければ成長はない」との趣旨だった。

 禁止令が撤回されるまでの約2カ月間、仲間から「丁寧に投げろ」「カッとなるな」と何度も言われた。1年夏から投手としてベンチ入りした逸材だが、負けず嫌いの性格が災いして、打たれると力んで制球難に陥ることがあったという。しかし、仲間からの本音の指摘に「何が足りないか気付いた」と言う。「打たれた時こそ仲間を信じよう」との思いで臨んだ。

 花咲徳栄との再戦となった決勝戦。「相手に流れが行ったのはあの回だけ」と振り返った五回以外は、二塁を踏ませなかった。野手も六回と七回に併殺を取り投手を支えた。「甲子園に行けなかったが全員で笑顔で戦えたから悔いはない」。涙をこらえ、仲間をたたえた。

朝日新聞埼玉版)

◇チーム支えたエース 春日部共栄3年 竹崎裕麻投手

 試合が終わった瞬間、ネクストバッターズサークルで春日部共栄のエース竹崎裕麻投手(3年)が顔をぬぐうと、涙があふれ出した。5回戦からの4試合、1人でマウンドを守ったが、あと一歩で甲子園に届かなかった。

 入学当初から、本多利治監督に軟式野球で中学の日本代表に選ばれた技術の高さを買われ、「チームを支えるエースになれ」と託された。昨秋、エースナンバーを背負ったが、秋季関東大会は2回戦で逆転負けし、春の選抜出場を逃した。悔しさをばねに、冬は走り込みとウエートトレーニングで体を作り、1年の時より体重は4キロ増加。球が重くなった。

 好調で迎えた今大会。この日も、4回まで花咲徳栄打線を1安打に封じた。5回に2点を失ったが、6回以降は「仲間が守ってくれる」と信じたとおり、2度の併殺も含め、持ち直した。

 本多監督は「このチームは、竹崎チーム。ほめてあげたい」と手放しでたたえた。仲間に促され、準優勝の賞状を受け取り、「このチームで野球ができてよかった。全力を出せたし、悔いはない」。涙は消え、すがすがしい笑顔を見せた。

東京新聞埼玉版)