仲間のため好投誓う 花咲徳栄・松本晃岳投手

 「(決勝で)出番がなかった悔しさはないです。チームが勝てたから」。この言葉に偽りはなかった。27日、県営大宮球場で行われた決勝は、花咲徳栄が10年ぶり2度目の栄冠を勝ち取り閉幕した。優勝の瞬間、一際輝く笑顔でナインの輪に飛び込む一人の選手。松本晃岳(あきお)投手(3年)は昨年5月の右肘内側側副靭帯(じんたい)損傷から1年以上のブランクを経て、この夏復帰。「自分のためではなく、支えてくれた仲間への恩返しのために投げる」。そう誓って挑んだ最後の夏は舞台を聖地・甲子園に移し、まだまだ続く。

 松本投手は2009年、1年の秋からベンチ入り。県大会、関東大会で好投し、花咲徳栄の7年ぶりの選抜大会出場に大きく貢献した。

 春夏連続出場へ向け、出直しを図り臨んだ春季関東大会。投げる前から右肘に違和感を感じていた。それでも、初戦の2回戦で土浦湖北(茨城)戦に先発し、敗れはしたが1失点の好投だった。ただ、帰りのバスで右肘に力が入らない。悪夢の始まりだった。

 「1週間で治ると思った」との思惑に反し1週間、1カ月が経過しても治らない。昨夏はベンチ入りしたが全く投げられず、チームは決勝で本庄一にサヨナラ負けした。

 秋に入っても回復しなかったため、11月に手術に踏み切った。1カ月後にギプスを外せたが、3〜4カ月間、肘がほとんど曲がらなかった。リハビリはつらく険しい。だんだんと嫌気が差して妥協した。「野球はもういいや。やめよう」と心が折れそうになった。

 弱気になった松本投手を支えたのはチームメートだった。主将の広岡翔太右翼手は「松本を見捨てたくない」と“お前のことを待ってるから”とメールを送った。寮で同部屋の大塚健太朗遊撃手はともに選抜大会に出場した仲。松本投手を「また一緒に、甲子園に行きたいな」と励ました。

 「仲間がいなかったら本当にやめていたと思う」。感謝の気持ちを示すかのように、ひたすら走り、できる限りの下半身トレーニングをこなした。リハビリも積極的に行い、500ミリリットルの空のペットボトルを使ったアームカールで徐々に重りを加えていった。すると、順調に右肘は回復し、6月初旬の練習試合から投げられるようになった。

 松本投手の持ち味はキレと制球だ。球速は130キロほどだが、右上から角度のある直球が、捕手のミットに糸を引くように吸い込まれる。縦に大きく割れるカーブは県内一と自負する。

 今大会は背番号10をもらいベンチ入り。3回戦で先発し4回を無失点に抑えるなど、6回を投げて被安打5、無四球と安定感は故障前と変わらない。準決勝、決勝と完投した北川大翔投手も「松本が、後ろに控えていてくれるから飛ばせる」と絶大な信頼を寄せる。

 帽子のつばの裏には“肘を潰してでも みんなを甲子園に!”と黒字で書かれている。残りのスペースには"有難う"と書き足すつもりだ。一つは手術という難が有(あ)ったが、乗り越えられたという意味。もう一つはもちろん「みんなありがとう」。この気持ちを初の甲子園のマウンドで体現する。

埼玉新聞