最後の夏、「泣き虫」に涙なし 聖望学園 河合賢人捕手

 一回、エース・佐藤勇吾の立ち上がり。先頭打者に死球を与えると、「僕も勇吾も焦ってしまった」。この回、3連打などで都城商のスコアボードに重すぎる「4」が点灯。最後まで、その差を縮めることができず、164センチの小柄な“司令塔”は「投手と捕手の責任です」と唇をかんだ。

 昨春の選抜大会では自ら志望して、ベンチ脇でボールボーイを務めた。「自分もここでやりたい」。ベンチの外から中へ−。あこがれは目標に変わった。

 レギュラーをつかんだのは今春から。そこまでの道のりは決して平坦(へいたん)ではなかった。1年の秋には右肩を負傷して手術。半年間、ボールを握ることすらできなかった。

 守りの要の捕手として、岡本幹成監督に怒られることもしばしば。「泣き虫」は、人目をはばからず悔し涙を流すこともあった。「それで強くなれた。感謝しています」

 ようやくたどり着いた甲子園は「夢のよう」だった。八回には意地の内野安打で戦い抜いた証を「聖地」に残した。2年半の高校野球は幕を下ろしたが、小さな体の胸をめいっぱい張った。「最後に甲子園で終われてよかった。悔いはないです」。乾いたグラウンドを、悔し涙がぬらすことはなかった。

産経新聞埼玉版)