“普段着野球”貫けず 島野、父への恩返し次の舞台で 埼玉栄

 飯沼の投ゴロを聖望学園・佐藤がキャッチすると、夏11年ぶりの甲子園が消えた。接戦を勝ち抜いた埼玉栄だが、決勝は1点差で涙。「甲子園は遠くて近く、近くて遠い。信じられない点の取られ方だった」。細淵監督は力なく話した。

 島野が先発し、芹沢がつなぐ方程式が崩れた。しかも、守備のチームらしからぬ乱れから。3失点した魔の二回だ。

 城戸を四球で出すと、西村には抜けたスライダーを痛打され、小島への3球目に盗塁された。無死二、三塁となった直後、背番号10は痛恨のミス。ベースにいない三塁手へけん制を投げ、ボークで先制点を与えた。

 「連投でスタミナがなかった。これ以上はいけないと思い、間を取ろうとしたら…」。島野は冷静さを喪失した。小島に適時打を浴び、河合の犠打処理で失策し、本所の遊ゴロが併殺崩れとなる間に3点目を奪われた。

 普段着の野球を忘れていた。「雰囲気がいつもとは違った。プレッシャーがあったのかも」と主将の林。三回からマウンドに上がった芹沢が好投したが、3併殺を喫するなど、歯車は最後までかみ合わなかった。

 昨年の新チーム発足時、前監督が他校に移ったため女子ソフトボール部の細淵監督が就任。1995年から約1年、女子日本代表監督を務めた指揮官は、野球でも基本の大切さを説いた。困難を克服し、粘り強い集団に成長したのは確か。

 「急造だったが力以上のものを出してくれた。これからはパワーを付け、強いチームに変身しなくては」と同監督。復活の一歩は記した。その先には必ずや、夏2度目の舞台が待っている。

埼玉新聞

◇父への恩返し次の舞台で 埼玉栄3年 島野隼輔投手

 マウンドで表情がこわばった。

 二回裏無死二、三塁のピンチ。けん制球のつもりで三塁手に投げた球がボークをとられ、あっけなく先制を許した。直後に中前へ運ばれ、2点目。動揺し、送りバントを取り損なうミスも犯した。

 背番号10ながら全7試合に先発した“エース”は、わずか2回で降板を余儀なくされ、甲子園出場の夢はかなわなかった。

 小学生の頃から、自身も高校球児だった父・隆明さん(44)の厳しい指導を受けてきた。「必ず甲子園へ行け。妥協したら負けだ」。中学卒業まで、朝は5時からランニング、夜は300〜500球のティーバッティング。「気合が足りない!」と叱責(しっせき)されても、歯を食いしばって耐えた。

 高校に入り、2年の秋に背番号1をつかんだ。ところが、3年になってすぐ腰を痛め、春の県大会を前に戦線離脱。「俺が投げないと勝てない」と高をくくっていたが、チームはエース不在をものともせず、準優勝という好成績を残した。

 今大会、「1」は付けられなかったが、「勝てればいい。番号にこだわるな」と言う隆明さんにも励まされ、チームの大黒柱として好投を続け決勝進出に貢献した。

 「甲子園で、成長した姿を父に見てもらいたかった。それが恩返しだった」と肩を落とす息子を、隆明さんは「私は4強止まり。息子は2強。本当に誇りに思う」とたたえた。

 卒業後は大学で野球を続けるつもりだ。父に見せる雄姿を今から思い描いている。

(読売新聞埼玉版)

◇甲子園で腕比べしたかった 埼玉栄3年・芝崎周平選手

 1点を追う九回表1死。打った球がショートに転がった。思わずヘッドスライディングしたが、見上げた塁審の判定はアウト。塁上で頭を垂れたまま、しばらく動かなかった。

 二塁手、遊撃手、三塁手をこなした。細淵守男監督(60)から「いぶし銀」と呼ばれる。林弘樹主将(3年)は「あいつのところに飛んだら安心」と話し、ナインの信頼は厚い。この日も五つの打球を完ぺきにさばいた。「高校野球はエラーで負ける。埼玉ナンバーワンの内野手になろうと練習してきた」

 きっかけは昨秋、左手がけんしょう炎になり、打撃練習ができなくなったことだ。「打てないなら守れ」と約1カ月半、真冬のグラウンドで細淵監督に1日約200本のノックを受けた。「厳しかったが、守備への自信がついた」。今年2月にも右手薬指をけがしたが、左手の捕球のみの練習を約1カ月半続けた。

 今大会、一つのエラーもしなかった。「しっかり守れた自負はある。甲子園で全国の内野手と腕比べをしてみたかった」

毎日新聞埼玉版)

◇2点差2死 4番の1打点 埼玉栄・林主将

 8回表2死三塁。埼玉栄の主将で4番打者の林弘樹(3年)が、ゆっくり打席に入った。差は2点。高めに来た直球を強振した。打球は中前に飛び、1点差に詰め寄った。

 塁上で、笑みやガッツポーズは見せなかった。「まだ同点じゃない。ここで追いつかなきゃだめだ」と、ベンチの仲間に目で合図を送った。4番打者の仕事は果たしたが、主将の仕事は済んでいないと思った。とりわけ、守りの要の捕手として、奪われた点を取り返す必要があった。

 初回を3人で抑えた先発島野隼輔(同)のリズムが乱れたのは、2回。先頭打者に四球を与え、続く西村凌(同)には中前に運ばれた。

 「連投の疲れが取りきれていなかった」(島野)。いつもの制球力がない島野を案じて、林がマウンドに駆け上がり、気持ちを落ち着かせた。次打者の小島尚幸(3年)をカウント2―2に追い込み、立ち直ったかに見えた。

 次の瞬間、打者のリズムを乱そうと、島野が三塁へ牽制(けん・せい)球を投げた。審判が手を広げ、「ボーク」を告げた。本塁を守る林のわきを、三塁走者が喜びながら駆け抜けていった。

 思いもよらない形で先制点を許し、さらに失策などで2点を奪われた。林は3回以降、救援した芹沢拓也(同)をリードし、追加点を許さなかった。それだけに、「もう少し、島野を落ち着かせられれば」と悔しがった。

 昨春、練習中に足の指を骨折し、夏の大会に出られなかった。主将を任され、チームの成長を感じられるようになったのが、何よりうれしかった。「このチームで甲子園に行きたかった」と、言葉を詰まらせた。

 監督の細淵守男(60)は「ヒットは出るのに。甲子園は遠い」。

◇「落ちてくれ」飛球無情 5回表の満塁機 埼玉栄・丸橋選手

 落ちてくれ――。5回表の満塁機で、埼玉栄の代打・丸橋裕昭選手(3年)が祈るように見つめた飛球は、聖望学園中堅手・本所宏章選手(同)のグラブにぎりぎりで収まった。球場に、大歓声とため息が交錯した。

 「とにかく次につなげよう」。そんな気持ちで打ち返したが、あと一歩で適時打にはならなかった。

 背番号は「20」。打撃の不振で、春の県大会で着けていた「7」を失っていた。焦った時期もあったが、「自分が活躍するよりチームに貢献できればいい」と切り替えた。代打で出場した初戦では、10回裏に同点適時打を放ち、調子を取り戻していた。

 敗戦後、「代打は100%打てないと意味がない」と悔しがった。細淵監督は「技術だけでなく、人間的にも成長した」とほめた。

朝日新聞埼玉版)

◇肉離れ押し3安打 埼玉栄3年 栗原明裕一塁手

 初回、内野安打で出塁すると、次打者の右前打で一気に三塁を狙った。何としても先取点をと、痛む右足をひきずり、がむしゃらに走った。だが、ベース目前でタッチアウト。「足が完璧(かんぺき)なら…」と、悔しさがこみ上げた。

 5回戦で古傷の肉離れを再発した。痛みで守備も思うに任せず、「打撃しかない」とバットを握る手に力を入れた。準々決勝、準決勝で各2安打、1打点ずつを挙げ、僅差(きんさ)の勝利に貢献。この日も3安打と立派に中軸打者の役目を果たした。

 入学時は投手だったが、1年の夏に左ひじを傷めた。手術後しばらく曲げることもできず、「心が折れて」半年間、練習を休んだ。

 家族や仲間に励まされ、一塁手として復帰。長く控えに甘んじたが、全体練習の後、毎日1時間、コツコツと打撃練習に励み、大会直前にレギュラーとなった。

 「将来はプロ野球選手になりたい」という夢を、不屈の努力でぜひつかんでほしい。野球人生は始まったばかりだ。

(読売新聞埼玉版)