よみがえれ上尾、熊商野球<番外編>

「公立校絶頂の名勝負 熱闘2時間56分の決勝戦

 ことしで91回を迎える夏の高校野球埼玉大会。上尾、熊谷商ファンならずとも、高校野球のオールドファンが真っ先に挙げる名勝負がある。1981年、第63回大会決勝は天候不順の影響で8月1日の開催となった。舞台はベーブ・ルースがプレーし、佐倉一高(千葉)の長嶋茂雄が特大のホームランを放った伝説の旧県営大宮球場。カードは第1シード上尾対第2シード熊谷商。スタンドは満員札止めの1万6千人。入れなかったファンが場外にあふれ、係員や大会役員に詰め寄るほどの人気と熱気だった。2時間56分、熊谷商の逆転サヨナラで幕を閉じる熱闘は、炎天下の午後1時5分にプレーボールのサイレンが鳴った。

◆関東屈指の左腕

 先攻の上尾、一塁側ベンチには赤銅色に日焼けした丸顔の野本喜一郎監督が、にこりともせず腕を組んでどっかとベンチに。

 一方の熊谷商の斉藤秀夫監督は、試合前から顔を真っ赤にして選手に声を掛け続けていた。

 上尾の先発は関東屈指の左腕とプロから注目されていた豪腕・日野伸一。野本監督の秘蔵っ子は準決勝の春日部工戦でノーヒットノーランを達成、絶好調だった。

 対する熊谷商は、エース高橋茂がひじの故障で登板できず、2番手の松本達哉がマウンドに。「高橋が投げられないので5点以上取らないと負ける」。斉藤監督は、身上である攻めの野球に徹することを決め、背水の陣で臨んだ。

◆先制、そして逆転

 試合が動いたのは二回、上尾の守備が乱れる。熊谷商は死球の走者を送って1死二塁。江原正幸(現監督)の当たりは右前打となったが、これを右翼手が後逸して二塁走者が先制のホームイン。なおも続く1死二塁で福島雅也の内野ゴロを三塁手が悪送球。熊谷商がわずか1安打で2点を先制した。

 熊谷商の先発の1年生松本はよく投げた。カーブとナチュラルシュートを使い分け、強打の上尾打線を六回まで無得点。しかし、上尾打線も3巡目になると黙っていない。七回2死からだった。清水達也が初球を左翼越えにソロ本塁打して反撃開始。続く松枝太一の中前打で松本が降板した。

 熊谷商は救援した下手投げの鉄山久美が大誤算。制球が定まらず2死満塁から押し出し四球で同点とされ、4番富田篤には左前に運ばれ2点を勝ち越された。

 日野の豪腕ぶりからして、これで上尾が逃げ切る。ファンの誰もが思ったに違いない。ところがこの日の日野はぴりりとしなかった。八回に暴投で1点を献上して4−3に。野本監督は相変わらず腕を組んだまま微動だにしなかったが、試合後「力んでしまったようだ」とポツリ。試合の流れが微妙に変わった。

◆ぶれなかった采配

 九回裏、1点を追う熊谷商の攻撃が始まった。早いカウントから原口昌之、宇野康幸が連打で無死一、二塁。ここは送りバントが正攻法。しかも熊谷商は五回、無死満塁の絶好機を強攻策が裏目に出てつぶしていた。

 しかし斉藤監督は「攻めに徹する」。身ぶり手ぶりで選手に強気の指示。森隆浩は左飛に倒れたが、町田勝吉が左前適時打で同点。なおも1死一、三塁。「ヒッティングあるのみ」(斉藤監督)。強攻の根岸忠緒が左翼へ犠飛。三塁走者宇野がサヨナラのホームイン。「夏の熊商」面目躍如。斉藤監督のぶれない強攻采配が、ナインの心も強気にさせていたのだった。

 試合時間2時間56分。高校野球にしては長い長い試合だったが、誰一人として途中で球場を去る者はいなかったろう。埼玉大会はこれ以降、私立校が台頭する。振り返れば、公立高校絶頂期の象徴であり、その終止符ともなった試合だった。

 野本監督、斉藤秀夫先生、あなた方の遺伝子は、教え子たちの手によって着実に引き継がれています。20年、30年たっても語り継がれる、あの決勝のような熱闘を、ことしの夏も繰り広げてくれることでしょう。2人が夢見てついに果たせなかった深紅の大優勝旗を、埼玉の地に必ず持ってきてくれることを願って。

埼玉新聞