春季県大会地区予選の組み合わせ決まる

 春季高校野球県大会の地区予選の組み合わせが5日、決まった。昨年より2チーム多い152チームが参加。合同チームは、上尾鷹の台、上尾橘、大宮商▽妻沼、深谷▽鶴ケ島清風、越生−−の3チーム。地区予選は11日に開幕し、17日まで4地区に分かれて戦う。各地区を勝ち上がった38チームと、センバツに出場した浦和学院花咲徳栄の計40チームは26日に始まる県大会に出場する。決勝は5月5日の予定。

毎日新聞埼玉版)

センバツ優勝の浦学に、さいたま市長特別賞を贈呈へ

 さいたま市は5日、第85回記念選抜高校野球大会毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)で初優勝した浦和学院高校と同校野球部の森士監督に市長特別賞を贈る方針を固めた。清水勇人市長が同日の定例記者会見で明らかにした。同校は近く市長を訪問して優勝報告する予定で、その際に表彰する。市長特別賞は1日付で創設されたため、同校が第1号の受賞となる。

 受賞対象は「市政発展に貢献し、功績が特に顕著な市民、市内に住所を有する団体」で、スポーツに限らず文化や経済など全ての分野を想定している。清水市長は「さいたま市民124万人を代表して心からお祝いとお礼を申し上げる。春夏連覇を目指してさらに頑張っていただきたい」と話した。

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所沢西高の演奏会にいわき海星高が参加

 春の選抜高校野球に出場した福島県いわき海星高校を甲子園で友情応援した県立所沢西高校吹奏楽部の定期演奏会が4日、所沢市の市民文化会館「ミューズ」で行われた。会場にはいわき海星の野球部員らが登場し、会場を盛り上げた。

 両校は、東日本大震災いわき海星が大きな被害を受け、所沢西ががれきの撤去に協力したことをきっかけに交流。選抜高校野球に出場したいわき海星の試合に、所沢西の吹奏楽部が駆け付けて応援した。

 いわき海星の野球部員16人と、いわきの郷土芸能・じゃんがら念仏踊りの「チームじゃんがら」の生徒12人は演奏が終盤に近づいた頃にステージに登場。野球部の若林享監督は「所沢西高が応援に来てくれて、選手たちは一緒になって闘うことができ、良い試合だった。吹奏楽部の演奏は一糸乱れぬ素晴らしい演奏でした。この演奏を心に刻み、夏の大会に備えたい。一生忘れぬ思い出ができた」とあいさつした。

 坂本啓真主将も「所沢西高の応援のおかげで甲子園という大きな舞台で試合ができた。素晴らしい演奏に感謝しています」と述べ、会場からは健闘をねぎらう大きな拍手が湧き起こった。

 チームじゃんがらは、約700人の市民や生徒たちにじゃんがら念仏踊りを披露した。

 所沢西高校は「今度は逆に友情応援に来てもらって感無量。お祭り騒ぎに終わらせることなく、今後、両校がどのように交流していくか考えていきたい」としている。

埼玉新聞

浦和学院が凱旋 センバツ優勝、母校で報告

 第85回選抜高校野球大会で初優勝し、埼玉県勢45年ぶりの快挙を達成した浦和学院は4日、済美(愛媛)を17−1で下した決勝から一夜明け、埼玉に帰郷し母校で優勝報告会を行った。日本一のチームの雄姿を見ようと集まった1千人以上の生徒、関係者の前で、森士(おさむ)監督、山根佑太主将は感謝の言葉を述べ、夏の甲子園で再び全国制覇することを誓った。

 午後4時10分、一行を乗せたバスが学校に到着すると、校内は祝福ムードに包まれた。放送で校歌が流れる中、森監督を先頭に、優勝旗を持った山根主将ら選手が凱旋(がいせん)。清水勇人さいたま市長をはじめ駆け付けた近隣住民、教職員の出迎えに応え、喜び合った。その後、選手たちは新1年生約800人が待つ体育館に入り、報告会が始まった。

 森監督は「ただいま戻りました」と第一声。「数多く全国に行ったが、やっと優勝旗を持ち返ることができた。これも応援していただいた方々のおかげ」と頭を下げた。山根主将は「皆さんの応援の力で優勝できた。この経験を生かして、夏の甲子園に戻って、日本一を目指し頑張りたい」と力を込めた。

 決勝を現地で観戦した清水市長は「粘り強く頑張っていた姿は忘れられない。124万市民を代表してお礼を言いたい」とあいさつ。小沢友紀雄校長は「ぜひ甲子園の常連校から優勝を争う常連校になってほしい」と激励した。

 熱烈な歓迎に選手も驚いた様子。主砲の高田涼太選手は「本当にびっくり」と目を丸くし、遊撃手の竹村春樹選手は「皆の温かい声援を肌で感じた」と話した。5番の木暮騎士選手は「やっと優勝の実感が湧いてきた」と喜んだ。

 チームはこの日午前9時15分に滞在していた兵庫県の伊丹シティホテルを出発。同10時50分の新幹線で大阪を離れた。5日は荷物整理などを行う。

◇激闘一夜明け、あらためて喜び 浦学選手たちの声

 第85回選抜高校野球大会で悲願の初優勝を成し遂げた浦和学院。決勝の激闘から一夜明けた4日、ナインたちは、あらためて全国制覇の喜びをかみしめた。

(1)小島和哉投手 まだ夢のような感じ。埼玉に戻れば実感すると思う。

(2)西川元気捕手 優勝から一夜明けて、実感がわいてきた。

(3)木暮騎士一塁手 一からやり直して、ここに戻ってきたい。

(4)贄隼斗二塁手 やってきたことを発揮できたが、課題を克服したい。

(5)高田涼太三塁手 みんなが目指している場所で優勝できてうれしい。

(6)竹村春樹遊撃手 走塁、打撃の面ですきをなくしていきたい。

(7)服部将光左翼手 夏勝つために、今日からが新しいスタート。

(8)山根佑太中堅手 夢のようで実感が沸かない。夏も戻ってきたい。

(9)斎藤良介右翼手 うれしさと反省もあった。しっかり練習したい。

(10)山口瑠偉投手 練習をして一回り大きくなって甲子園に戻ってきたい。

(11)涌本亮太投手 夏は自分がチームの勝ちに貢献できるようにしたい。

(12)田畑瑛仁捕手 実感が沸かず夢のよう。夏に向けて練習に励みたい。

(13)伊藤祐貴投手 実感はないけど、大きなことを成し遂げたと思う。

(14)川井俊希遊撃手 本当に日本一になったんだなという感じがする。

(15)久保和輝中堅手 正直まだ優勝したんだという実感が沸いていない。

(16)渡辺剛右翼手 優勝を実感して本当にうれしい。間違いではなかった。

(17)前田優作左翼手 起きてテレビや新聞で優勝の場面を見て実感した。

(18)酒井恭遊撃手 きょうホテルでテレビを見て優勝したんだと感じた。

埼玉新聞

浦和学院初V 県勢45年ぶり センバツ

 第85回選抜高校野球大会最終日は3日、兵庫県西宮市の甲子園球場で3万人の観衆を集めて決勝を行い、浦和学院済美(愛媛)に17−1で大勝し、春夏を通じて初優勝を飾った。県勢の優勝は1968年、第40回大会の大宮工以来、45年ぶり2度目。

 3年連続9度目の出場だった浦和学院は、打線が爆発し18安打17得点。投げては左腕エース小島が8安打を許しながらも要所を締め、1失点完投した。

 序盤は済美にペースを握られた。二回、2死二塁からタイムリーを許し1点を先制され、打線は今大会ナンバーワン右腕の済美のエース安楽に四回まで無得点に抑えられた。

 しかし、五回に自慢の強力打線が目覚めた。先頭の斎藤が右前打、続く西川の中越二塁打で無死二、三塁とすると、小島が左前タイムリーを放ち3連打で同点に追い付いた。その後2死満塁から、主将の山根が2点中前適時打を放って逆転。ここから高田、木暮の連続二塁打と斎藤、西川の連打など、この回打者12人の猛攻で8安打7得点し、試合を決めた。八回にも3番手の投手から大量点を挙げた。

 5試合連続の先発となった2年生エース小島は立ち上がりからピンチの連続だったが粘りの投球で打線の爆発を呼び込み、2試合連続の完投勝利。尻上がりに本来の制球力が復活した。

 県勢は大宮工が全国制覇を果たした後、1993年に大宮東、2008年には聖望学園が決勝進出したが、いずれもはね返された。浦和学院は史上初の関東大会3連覇の看板を掲げ、3回戦から4試合連続2桁安打、2桁得点も3試合と、「東の横綱」の名にたがわぬ戦いぶりで紫紺の優勝旗を手にした。

◇エース小島「夢みたい」 通算580球42回3失点

 左腕が投じた128球目。大きな飛球が左翼手・服部のグラブに収まると、背番号1は一塁側に向かって両手を突き上げた。浦和学院の2年生エース小島が2試合連続完投で優勝投手の称号を得た。「夢みたい」。バックを守る先輩たち、ベンチの仲間たちとマウンド付近で抱き合い、全国制覇の瞬間をかみしめた。

 「決勝の雰囲気にのまれた」と、立ち上がりは球が高めに浮きピンチの連続。二回2死二塁で先制適時打を浴び、さらに連打で一、三塁。序盤は直球が主体だったが、ここで変化球を織り交ぜ、済美の1番山下を二ゴロに打ち取った。四回無死二塁のピンチも連続三振で走者を進めさせない。

 一番の見どころは五回だ。1死からこの日最初の四球で走者を背負い、2死二塁となって打席には、同学年で4番でエースの安楽。初球で内角をえぐり、2ボール2ストライクから内角高めに135キロの直球を投げ込んで空振り三振に仕留めた。見たことのないガッツポーズも飛び出し「うれしかった」とはにかんだ。

 直後に味方が無死二、三塁の好機をつくると自ら打席へ。安楽の変化球を捉え、三遊間を抜く同点打を放った。「何とか取り返したかった。安楽君も戦っているし、自分もしっかり戦おうと思った」。エース対決で勝ち、打席でも勝った。

 5試合連続先発で初の2連投。通算580球を投じ、42回で3失点と抜群の安定感を見せた。それでもまだ「連投で内に投げ切れなかった。気持ちの面でまだ弱いところがある」と話す。その姿勢がある限りまだまだ伸びる。「優勝の自覚がない」と照れる16歳左腕は日本一の高校生投手だ。

◇流れ呼ぶ主将・山根の一打 5試合全てでヒット

 主将・山根のバットが、浦和学院を優勝へとかじを切らせた。済美の安楽から値千金の逆転打。「うまく打てた」と納得の一打が生まれると、チームメートはせきを切ったように猛攻劇を演じた。

 同点に追い付いた五回、2死満塁と絶好のチャンスで打席が巡ってきた。前の2人は敵失と死球の幸運な形で出塁。「ピンチで力んでいるようだった」とマウンドの安楽の姿を冷静に観察していた。初球139キロの直球を振り抜いた。快音を残し、地をはうかのような鋭い打球は中前で跳ね、2人が生還した。

 試合の局面とも言える場面ながら1球で仕留めた。度胸が据わり頼れる男だ。注目された本格派右腕との対戦も「連投の疲れか球がきていなかった。終盤勝負だと思っていた」。無得点に終わった序盤の攻撃にも浮足立つことはなかった。

 周囲の目は大会3本塁打の高田にいったが、山根は5試合全てでヒットを記録。大会最多安打にあと1本に迫る通算12安打。初戦の土佐戦では終盤に試合を決める2点適時打を放っている。全てはここから始まった。

 決勝では2度のビッグイニングを築いた。「どんなに点差があっても足りないと思っていた」と山根。明治神宮大会の春江工戦で5点のリードを逆転され敗戦。このことを引き合いに出し、攻撃の手を緩めなかった。自身も八回に2安打を放っている。

 春、夏、春と3度目の甲子園出場でつかんだ優勝旗。新しい歴史を刻んだ仲間たちを前に「みんながキャプテンです」と言った。だが、春夏連覇の偉業へ挑戦権を手にしたチームを引っ張っていくのは、紛れもなく主将の山根だ。

◇尽きぬ情熱で悲願 森監督、歓喜の胴上げ

 「夢のようですね」。初優勝の余韻に浸るように発した第一声には22年分の思いが、たっぷりと詰まっていた。悲願達成の瞬間を「この試合を1分1秒でも長く楽しみたいなと思っていた」と、かみしめていたという。

 旧浦和市出身。上尾高―東洋大では投手を務めていたが、背番号は付けられず。「プレーヤーとしては失敗作。その失敗した経験を生かして野球に恩返しができれば」。指導者を志した原点だ。

 情に厚い性格で「野球というスポーツが大好きで、野球に携わる人も大好き。周りに人がいて野球ができる。仲間の喜ぶ顔を見るのが幸せ」と屈託のない笑顔を見せる。

 27歳で初出場してから21年。甲子園でなかなか勝てない時期もあった。それでも「負けてきた数も財産。過去は変えられない。未来は変えるよ」。昨年、こんなことを言っていたのを思い出す。

 上尾高で学んだ恩師・故野本喜一郎監督の、技術よりも人と人との心の触れ合いを大切にする野球が、現在でも深く胸に刻まれている。「選手たちの気持ちに負けたくないって、今でも思う」。衰えない野球への情熱が新たな道を切り開いた。

 大の風呂好きで、サウナと水風呂を3セットは繰り返す。長男、次男とも浦和学院でともに甲子園に出場した野球一家。その中でも「陰ながら支えてくれた家内には感謝してます」。長年苦労を分かち合った志奈子夫人(52)に言葉を贈った。

◇「やり通す姿勢学んだ」 21年前4強の石附さん

 「目頭が熱くなりましたね」。浦和学院選抜高校野球大会で初めて4強入りした21年前、「5番、三塁手」として活躍した会社員石附篤彦さん(38)は、街頭のテレビ中継で優勝の瞬間を見届けた。母校が現役時代以来2度目の準決勝に臨んだ2日は、一人息子の龍陛さん(12)と2人で、甲子園球場のスタンドから応援。決勝は仕事の都合で行けなかったが、後輩たちが悲願を達成してくれた。

 当時は森士監督が就任した最初のシーズン。「年齢が近かったせいか、兄貴みたいな存在だった」と懐かしむ。石附さんは卒業後、三菱重工横浜で4年間プレーして引退。現在は東京都内の会社で働く。「先生(森監督)からは、何事にも集中して取り組むことを学んだ。校歌に『貫けひとつ わが道を』とあるけれど、自分が決めたことをやり通す姿勢は、今でも生きている」と感謝を忘れない。

 毎年、同じ三塁手の後輩たちが最も気になるという。今大会は、4番の高田涼太選手が3試合連続本塁打を放つなど、大暴れした。石附さんは、「ものすごい選手ですね。バッティングも守備も超一流で、私はとてもかなわない」と手放しで褒めちぎる。

 野球部のころの仲間や恩師は、石附さんにとっては掛け替えのない財産だ。今でも時々、グラウンドを訪問するなどしている。「今週末にでも、先生たちを祝福しに行きたい」と目元が緩む。チームは今後、全国のライバルから目標とされる。「埼玉のチームがまだ成し遂げていない、夏の甲子園優勝を実現してほしい」とエールを送った。

◇誇らしげ笑顔輝く 留守部隊、偉業に大興奮

 「夢みたい」「さすが浦学!」―。県勢の45年ぶり2度目の全国制覇に、さいたま市緑区代山の浦和学院高校"留守部隊"も沸いた。初の決勝進出でさらに生徒を甲子園へ送り込み、食堂に集まった生徒は約60人。準決勝時140人の約半分だが、熱気は前日を大きく上回り、教職員と合わせた約130人が待ちに待った勝利の瞬間に歓喜した。

 連日の留守応援となった3年の谷川有羽美さんは「超うれしい。最初失った流れを見事に奪い返した。最高」と満面の笑み。大量得点の初優勝に、同じく諏訪佑菜さんからは「さすが浦学!」と誇らしげな笑顔がはじけた。

 1点を奪われた直後、「今の浦学なら大丈夫。高田涼太三塁手が打つ」と話していた3年の高橋広夢君は五回の7得点の猛攻に、「高田選手の打球はもう少しで本塁打。惜しかったけど、これだけ得点してくれれば期待通り」。3年の高橋啓之君は「もっともっと打ってほしかった」と興奮冷めやらない様子で、同じく徳竹洋介君は「この調子で夏も優勝してほしい」と期待を膨らませた。

 準決勝も食堂で応援した3年の黒沢和貴君は「まさか17点も取るとは。得点後の盛り上がりが半端じゃない。楽しかった」とうれしそう。国語を担当する坂本恵里教諭(24)も「圧勝で全国制覇は一層うれしい」と選手の健闘をたたえた。

 創部当時を知る増岡初味広報渉外部長は「夢みたい。鍛えた技術と、先制されても自信を失わない心の強さがあった」と会心の笑み。教職員らの後方で見守るように応援していた野球部初代監督の栗野拓哉教諭(57)は「すごいの一言。創部当時は市内大会でやっと優勝できるレベルだった。五回は一度好機を失ったかに見えたが、狙い球の指示の的確さと、忠実に結果を出す選手が光った。重圧もあったと思うが、すごいチームだ」と感慨深げだった。

◇浦和など3駅で本紙が号外配布

 埼玉新聞社浦和学院優勝を受けて号外を発行、3日夕方、JR浦和、大宮、東川口の各駅で配布した。

 さいたま市浦和区のJR浦和駅では午後4時半すぎ、「浦学初V」と見出しを付けた号外を社員が配った。号外を手にした駅利用者は喜びを分かち合っていた。

 同区の70代の自営業女性は「最高にうれしい。チームワークの良いチームだった」。市内に住む女子中学生のグループも「家族で応援していた。浦和の誇りです」と盛り上がった。

埼玉新聞

森監督の妻・志奈子さん 支え続け迎えた歓喜

 初優勝を果たし、「日本一」の監督となった浦和学院森士監督(48)。その名将を陰で支えたのが、妻志奈子さん(52)だ。

 監督生活22年目。グラウンドでは熱心に選手を指導する森監督。選手への愛情は強く、「親から預かった大切な選手。父親のように接していますね」と志奈子さんは話す。

 グラウンドでは選手や野球と真剣に向き合う森監督も、家に帰るとほとんど野球の話はせず、洗濯をしたり、風呂洗いもする「普通の父親」という。2人の息子も立派に育てあげた。

 チームは一時、甲子園に出ても勝てない時期が続いた。そんなときも、森監督は家で表情には出さず、愚痴や弱音もはかなかった。ひたすら耐える夫。妻は「野球の神様は、越えなきゃいけないことがあると言っているのでは」。そう言って励まし続けた。

 決戦前夜、宿舎で会話を交わした森監督と志奈子さん。「ここまで来ることができた。ありがとう」。妻に感謝の気持ちを伝えた森監督。志奈子さんは「まだ一日早いわよ」。

 この決勝をアルプススタンドで観戦した志奈子さん。選手の父母らと共にメガホンを振り、大きな声で声援を送った。そして迎えた歓喜の時。「おめでとう」の言葉と共に、目に熱いものが込み上げてきた。

 「お疲れさま。家でゆっくり優勝をかみしめたいですね」と労をねぎらう。特別なことはあまりしないというが、魚などの和食料理が好きな夫のため、「タイでお祝いしようかな」と笑顔を見せる。

 そして、前日に言うことのできなかった言葉を伝えるつもりだ。「声をからして声援をしてきたかいがあった。ここまで連れてきてくれてありがとう」。そして「夏もまた連れてきてね」と。

埼玉新聞

浦和学院、21年ぶり4強 初決勝懸け2日敦賀気比戦

 第85回選抜高校野球大会第10日は31日、兵庫県西宮市の甲子園球場で準々決勝2試合を行い、浦和学院北照(北海道)を10−0で破り、就任1年目だった森士監督の下、初出場した1992年の第64回大会以来、21年ぶりの準決勝進出を決めた。

 県勢の4強入りは2008年に準優勝した聖望学園以来5年ぶり5度目。浦和学院は大会第12日の4月2日、準決勝第1試合で敦賀気比(福井)と初の決勝進出を懸けて戦う(11時)。

 部の歴史に並ぶ一戦で、昨秋の明治神宮大会4強チームを投打で圧倒した。一回、4番の高田が先制パンチ。2死一塁で2試合連続アーチとなる左越え2ランを放ち、流れをつかんだ。3試合連続先発の左腕小島は今大会一番の出来。五回まで1安打1四球と危なげなく抑えると、裏の攻撃で打線が追加点を奪った。

 1死二、三塁で打席は2番贄。サインミスで三塁走者が憤死し、2死二塁となった直後、右中間を破る三塁打で3点目を挙げた。さらにこの回、敵失で1点を追加。七回には相手投手の乱調とエラーに乗じ、山根の走者一掃の二塁打など打者9人で6得点した。

 小島は7回を投げ、二塁を踏ませたのが1度だけのほぼ完璧な投球。八回から救援の山口も2回を三者凡退で無失点リレーを完成させた。

 届きそうで届かなかった21年前の先輩たちにようやく肩を並べた。92年、前年秋に就任した27歳の森監督が率い、初めてセンバツの土を踏んだ浦和学院。初戦で福井商から初白星を挙げると、東山(京都)育英(兵庫)を次々と撃破。準決勝では優勝した帝京(東京)に1―3で屈したものの、新風を吹き込んだ。

 しかし、その後は昨年まで7度の出場で全て準々決勝の壁を越えられなかった。98年の第70回、02年の第74回大会は8強止まり。昨年も準々決勝で、優勝した大阪桐蔭に1点差で敗れ、涙をのんだ。

 3年連続9度目出場、春夏合わせて3季連続出場で迎えた今大会。48歳となり、出場監督中最多18度目の甲子園に臨んだ森監督の下、大舞台での経験を積んだ選手たちが聖地で伸び伸びと躍動した。

 「(決勝は)私自身が見たことのない世界。(準決勝は)気と気がぶつかり合う試合になると思うので楽しみ」と気持ちを込めた森監督。22年目のベテラン指揮官に率いられた“ウラガク”ナインが今こそ新たな歴史の扉を開く。

◇「必ず優勝」夢じゃない 浦学21年ぶり4強にアルプス興奮

 やったぞ、21年ぶりのベスト4進出―。31日、第85回選抜高校野球大会準々決勝で浦和学院北照(北海道)に10−0で大勝。三塁側のアルプススタンドはナインの活躍に、歓声が鳴りやむことはなかった。

 昨春、夏の甲子園ではいずれも3戦目に敗れている。その3戦目を迎え、スタンドの気合はいつも以上。生徒会長の天久甲太郎さん(3年)は「野球部は学校の顔。接戦で勝ってもらいたい」と意気込む。

 食事作りのサポートや練習試合のアナウンス、スコアの集計など、一番近くで日々、奮闘するナインの姿を見ているのが、野球部の女子マネジャーだ。小泉由梨恵さん(3年)は「私たちも選手と同じ気持ちで戦っている。必ず優勝したい。夢じゃなく実現させたい」。真鍋美香さん(3年)も「本当に選手たちは毎日頑張っている。私たちの気持ちが選手に届くように応援します」。共に力を込め、グラウンドに視線を向ける。

 山形中央との3回戦で本塁打を放った高田涼太三塁手の父昭人さん(48)は、勤務先の昼休みにつけたテレビで息子のアーチを見たという。「心の中で『よしっ』と思いましたが、きょうもホームランは狙わずフルスイング、全力疾走など、できるプレーを確実に」と期待を寄せる。

 父の控えめな願いは、再び大きな結果となって表れた。一回2死一塁から、この日も4番を担う高田選手の左翼スタンドに突き刺さる2ランで先制。これで2戦連発。五回には2番贄(にえ)隼斗二塁手の右中間への三塁打と敵失で2点を追加。七回にも3番山根佑太中堅手の走者一掃の二塁打などで6点を加えた。投げても小島和哉投手から山口瑠偉投手への完封リレーで北照打線を1安打に抑えた。

 投打がかみ合っての完勝で、森士(おさむ)監督が就任1年目だった1992年以来、21年ぶりのベスト4をつかみ取った。3安打3打点と大活躍した山根主将の母詠子さん(46)は「チームが勝てて、すごくうれしいです」とにっこり。初の決勝進出を懸ける相手は、昨春の1回戦で快勝している敦賀気比(福井)なだけに「すごい勢いでくると思うので、それに負けないもっと強い気持ちで戦って」と思いを込めていた。

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◇児童手製のお守り

 浦和学院の選手たちはユニホーム形のお守りを携えて甲子園を戦っている。東日本大震災後に用具支援などを行った宮城県石巻市の少年野球チーム「鹿妻・子鹿クラブ」の小学生約30人が「甲子園でも頑張って」という思いを込めて手作りしてくれた。「めざせ日本の頂点」「最高の仲間を信じて」など、それぞれ違うメッセージが書かれた“一点物”。佐々木昂太選手(3年)は「みんなの思いを胸に、チーム一丸頑張ります」。

石巻からも応援

 東日本大震災の被災地支援活動を行っている浦和学院ナインを応援しようと、宮城県石巻市から1組の家族連れがスタンドに駆けつけた。同市内の保育所で選手たちとラジオ体操をして遊んだという伊東亮祐ちゃん(5)は「お兄ちゃんたちは大きくてかっこよかった。また遊んでほしい」。選手たちの案内役を務めた父の孝浩さん(43)は「浦和学院のみんなには感謝の気持ちでいっぱい。甲子園での活躍にまた勇気づけられました」。

◇「一戦必勝」でフルスイング 浦和学院3年・高田涼太選手

 試合前、一回の攻撃が鍵を握ると考えていた。

 その一回裏、打席が回ってきた。「低い打球でつなぐバッティングを意識した」。フルスイングで真ん中の直球を捉えると、打球はきれいな放物線を描いて左翼席に吸い込まれた。「小島が思い切り投げられるようにしたかった」。後輩への思いが、貴重な先制打につながった。

 3人兄弟の次男。父昭人さん(48)は「中学時代は、何の実績もない無名の選手だった」と振り返る。しかし浦学入学後、才能が一気に開花する。高い打力と守備力が評価され、昨夏の甲子園に出場。新チームでは、4番に抜てきされた。

 2試合連続の本塁打となったが、打撃内容に決して満足していない。2打席目以降、ノーヒットに終わったからだ。「変化球の見極めはまだまだ」と気を引き締める。

 目標の日本一まであと二つだが、気負いはない。「『一戦必勝』で、目の前の試合を戦っていきたい」

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