浦和学院初V 県勢45年ぶり センバツ

 第85回選抜高校野球大会最終日は3日、兵庫県西宮市の甲子園球場で3万人の観衆を集めて決勝を行い、浦和学院済美(愛媛)に17−1で大勝し、春夏を通じて初優勝を飾った。県勢の優勝は1968年、第40回大会の大宮工以来、45年ぶり2度目。

 3年連続9度目の出場だった浦和学院は、打線が爆発し18安打17得点。投げては左腕エース小島が8安打を許しながらも要所を締め、1失点完投した。

 序盤は済美にペースを握られた。二回、2死二塁からタイムリーを許し1点を先制され、打線は今大会ナンバーワン右腕の済美のエース安楽に四回まで無得点に抑えられた。

 しかし、五回に自慢の強力打線が目覚めた。先頭の斎藤が右前打、続く西川の中越二塁打で無死二、三塁とすると、小島が左前タイムリーを放ち3連打で同点に追い付いた。その後2死満塁から、主将の山根が2点中前適時打を放って逆転。ここから高田、木暮の連続二塁打と斎藤、西川の連打など、この回打者12人の猛攻で8安打7得点し、試合を決めた。八回にも3番手の投手から大量点を挙げた。

 5試合連続の先発となった2年生エース小島は立ち上がりからピンチの連続だったが粘りの投球で打線の爆発を呼び込み、2試合連続の完投勝利。尻上がりに本来の制球力が復活した。

 県勢は大宮工が全国制覇を果たした後、1993年に大宮東、2008年には聖望学園が決勝進出したが、いずれもはね返された。浦和学院は史上初の関東大会3連覇の看板を掲げ、3回戦から4試合連続2桁安打、2桁得点も3試合と、「東の横綱」の名にたがわぬ戦いぶりで紫紺の優勝旗を手にした。

◇エース小島「夢みたい」 通算580球42回3失点

 左腕が投じた128球目。大きな飛球が左翼手・服部のグラブに収まると、背番号1は一塁側に向かって両手を突き上げた。浦和学院の2年生エース小島が2試合連続完投で優勝投手の称号を得た。「夢みたい」。バックを守る先輩たち、ベンチの仲間たちとマウンド付近で抱き合い、全国制覇の瞬間をかみしめた。

 「決勝の雰囲気にのまれた」と、立ち上がりは球が高めに浮きピンチの連続。二回2死二塁で先制適時打を浴び、さらに連打で一、三塁。序盤は直球が主体だったが、ここで変化球を織り交ぜ、済美の1番山下を二ゴロに打ち取った。四回無死二塁のピンチも連続三振で走者を進めさせない。

 一番の見どころは五回だ。1死からこの日最初の四球で走者を背負い、2死二塁となって打席には、同学年で4番でエースの安楽。初球で内角をえぐり、2ボール2ストライクから内角高めに135キロの直球を投げ込んで空振り三振に仕留めた。見たことのないガッツポーズも飛び出し「うれしかった」とはにかんだ。

 直後に味方が無死二、三塁の好機をつくると自ら打席へ。安楽の変化球を捉え、三遊間を抜く同点打を放った。「何とか取り返したかった。安楽君も戦っているし、自分もしっかり戦おうと思った」。エース対決で勝ち、打席でも勝った。

 5試合連続先発で初の2連投。通算580球を投じ、42回で3失点と抜群の安定感を見せた。それでもまだ「連投で内に投げ切れなかった。気持ちの面でまだ弱いところがある」と話す。その姿勢がある限りまだまだ伸びる。「優勝の自覚がない」と照れる16歳左腕は日本一の高校生投手だ。

◇流れ呼ぶ主将・山根の一打 5試合全てでヒット

 主将・山根のバットが、浦和学院を優勝へとかじを切らせた。済美の安楽から値千金の逆転打。「うまく打てた」と納得の一打が生まれると、チームメートはせきを切ったように猛攻劇を演じた。

 同点に追い付いた五回、2死満塁と絶好のチャンスで打席が巡ってきた。前の2人は敵失と死球の幸運な形で出塁。「ピンチで力んでいるようだった」とマウンドの安楽の姿を冷静に観察していた。初球139キロの直球を振り抜いた。快音を残し、地をはうかのような鋭い打球は中前で跳ね、2人が生還した。

 試合の局面とも言える場面ながら1球で仕留めた。度胸が据わり頼れる男だ。注目された本格派右腕との対戦も「連投の疲れか球がきていなかった。終盤勝負だと思っていた」。無得点に終わった序盤の攻撃にも浮足立つことはなかった。

 周囲の目は大会3本塁打の高田にいったが、山根は5試合全てでヒットを記録。大会最多安打にあと1本に迫る通算12安打。初戦の土佐戦では終盤に試合を決める2点適時打を放っている。全てはここから始まった。

 決勝では2度のビッグイニングを築いた。「どんなに点差があっても足りないと思っていた」と山根。明治神宮大会の春江工戦で5点のリードを逆転され敗戦。このことを引き合いに出し、攻撃の手を緩めなかった。自身も八回に2安打を放っている。

 春、夏、春と3度目の甲子園出場でつかんだ優勝旗。新しい歴史を刻んだ仲間たちを前に「みんながキャプテンです」と言った。だが、春夏連覇の偉業へ挑戦権を手にしたチームを引っ張っていくのは、紛れもなく主将の山根だ。

◇尽きぬ情熱で悲願 森監督、歓喜の胴上げ

 「夢のようですね」。初優勝の余韻に浸るように発した第一声には22年分の思いが、たっぷりと詰まっていた。悲願達成の瞬間を「この試合を1分1秒でも長く楽しみたいなと思っていた」と、かみしめていたという。

 旧浦和市出身。上尾高―東洋大では投手を務めていたが、背番号は付けられず。「プレーヤーとしては失敗作。その失敗した経験を生かして野球に恩返しができれば」。指導者を志した原点だ。

 情に厚い性格で「野球というスポーツが大好きで、野球に携わる人も大好き。周りに人がいて野球ができる。仲間の喜ぶ顔を見るのが幸せ」と屈託のない笑顔を見せる。

 27歳で初出場してから21年。甲子園でなかなか勝てない時期もあった。それでも「負けてきた数も財産。過去は変えられない。未来は変えるよ」。昨年、こんなことを言っていたのを思い出す。

 上尾高で学んだ恩師・故野本喜一郎監督の、技術よりも人と人との心の触れ合いを大切にする野球が、現在でも深く胸に刻まれている。「選手たちの気持ちに負けたくないって、今でも思う」。衰えない野球への情熱が新たな道を切り開いた。

 大の風呂好きで、サウナと水風呂を3セットは繰り返す。長男、次男とも浦和学院でともに甲子園に出場した野球一家。その中でも「陰ながら支えてくれた家内には感謝してます」。長年苦労を分かち合った志奈子夫人(52)に言葉を贈った。

◇「やり通す姿勢学んだ」 21年前4強の石附さん

 「目頭が熱くなりましたね」。浦和学院選抜高校野球大会で初めて4強入りした21年前、「5番、三塁手」として活躍した会社員石附篤彦さん(38)は、街頭のテレビ中継で優勝の瞬間を見届けた。母校が現役時代以来2度目の準決勝に臨んだ2日は、一人息子の龍陛さん(12)と2人で、甲子園球場のスタンドから応援。決勝は仕事の都合で行けなかったが、後輩たちが悲願を達成してくれた。

 当時は森士監督が就任した最初のシーズン。「年齢が近かったせいか、兄貴みたいな存在だった」と懐かしむ。石附さんは卒業後、三菱重工横浜で4年間プレーして引退。現在は東京都内の会社で働く。「先生(森監督)からは、何事にも集中して取り組むことを学んだ。校歌に『貫けひとつ わが道を』とあるけれど、自分が決めたことをやり通す姿勢は、今でも生きている」と感謝を忘れない。

 毎年、同じ三塁手の後輩たちが最も気になるという。今大会は、4番の高田涼太選手が3試合連続本塁打を放つなど、大暴れした。石附さんは、「ものすごい選手ですね。バッティングも守備も超一流で、私はとてもかなわない」と手放しで褒めちぎる。

 野球部のころの仲間や恩師は、石附さんにとっては掛け替えのない財産だ。今でも時々、グラウンドを訪問するなどしている。「今週末にでも、先生たちを祝福しに行きたい」と目元が緩む。チームは今後、全国のライバルから目標とされる。「埼玉のチームがまだ成し遂げていない、夏の甲子園優勝を実現してほしい」とエールを送った。

◇誇らしげ笑顔輝く 留守部隊、偉業に大興奮

 「夢みたい」「さすが浦学!」―。県勢の45年ぶり2度目の全国制覇に、さいたま市緑区代山の浦和学院高校"留守部隊"も沸いた。初の決勝進出でさらに生徒を甲子園へ送り込み、食堂に集まった生徒は約60人。準決勝時140人の約半分だが、熱気は前日を大きく上回り、教職員と合わせた約130人が待ちに待った勝利の瞬間に歓喜した。

 連日の留守応援となった3年の谷川有羽美さんは「超うれしい。最初失った流れを見事に奪い返した。最高」と満面の笑み。大量得点の初優勝に、同じく諏訪佑菜さんからは「さすが浦学!」と誇らしげな笑顔がはじけた。

 1点を奪われた直後、「今の浦学なら大丈夫。高田涼太三塁手が打つ」と話していた3年の高橋広夢君は五回の7得点の猛攻に、「高田選手の打球はもう少しで本塁打。惜しかったけど、これだけ得点してくれれば期待通り」。3年の高橋啓之君は「もっともっと打ってほしかった」と興奮冷めやらない様子で、同じく徳竹洋介君は「この調子で夏も優勝してほしい」と期待を膨らませた。

 準決勝も食堂で応援した3年の黒沢和貴君は「まさか17点も取るとは。得点後の盛り上がりが半端じゃない。楽しかった」とうれしそう。国語を担当する坂本恵里教諭(24)も「圧勝で全国制覇は一層うれしい」と選手の健闘をたたえた。

 創部当時を知る増岡初味広報渉外部長は「夢みたい。鍛えた技術と、先制されても自信を失わない心の強さがあった」と会心の笑み。教職員らの後方で見守るように応援していた野球部初代監督の栗野拓哉教諭(57)は「すごいの一言。創部当時は市内大会でやっと優勝できるレベルだった。五回は一度好機を失ったかに見えたが、狙い球の指示の的確さと、忠実に結果を出す選手が光った。重圧もあったと思うが、すごいチームだ」と感慨深げだった。

◇浦和など3駅で本紙が号外配布

 埼玉新聞社浦和学院優勝を受けて号外を発行、3日夕方、JR浦和、大宮、東川口の各駅で配布した。

 さいたま市浦和区のJR浦和駅では午後4時半すぎ、「浦学初V」と見出しを付けた号外を社員が配った。号外を手にした駅利用者は喜びを分かち合っていた。

 同区の70代の自営業女性は「最高にうれしい。チームワークの良いチームだった」。市内に住む女子中学生のグループも「家族で応援していた。浦和の誇りです」と盛り上がった。

埼玉新聞