乗り越えて2011夏(1)市川越・倉田晃希君

◇「亡き後輩の分まで」

 5月1日、春の県大会準々決勝。市立川越の倉田晃希君(3年)は桶川戦の9回表、代打で打席に立った。芯でとらえた打球は中前に落ちた。チームは惜敗したが、公式戦で初めての安打を記録した。

 「ごんちゃんのおかげだ」

 ベンチには、4月28日にがんで亡くなった練習相手の権藤光君(2年)の写真が飾られていた。地区大会では出場メンバーから漏れ、落ち込んだ。その時、病床から「最後の夏を目標に頑張って下さい」と励ましてくれたのが権藤君だった。

 市立川越では昨年夏から、1年生と2年生がペアを組んで自主練習している。誰と組むか。雑用も基礎トレーニングも必死に取り組む権藤君が最初に思い浮かんだ。

 話すことは野球のことばかり。打ち解けるのに時間はかからなかった。交代でティー打撃や外野ノックを繰り返し、互いにマッサージもした。

 昨年夏、遠征先の静岡から帰ると、相棒はグラウンドにいなかった。後輩は「頭痛で休んでます」と話していたが、なかなか戻ってこない。体調を気遣い、メールを送らないでいると、突然、手術することになったと知らされた。

 手術後、練習が休みの日に見舞いに行った。「病院はつまんないっす。早く部活に戻りたい」。持病のぜんそくで苦しんだ経験を話し、「一緒に練習したいから早く帰ってこいよ」と励ました。

 年が明け、ようやく学校で姿を見かけた。しかし、肩には野球部員なら全員持っている特製のエナメルバッグはなかった。「チーム思いのやつだから、練習に出られないのが申し訳なくてつらいんだな」。話しかけず、遠くから見守った。

 春の県大会で8強入りが決まった4月29日、新井清司監督から「権藤が亡くなった」と知らされた。頭が真っ白になった。

 告別式で、権藤君の母親からメッセージカードをもらった。復帰した時のためにオーダーしたグラブの写真とともに、感謝の言葉がつづられていた。

 「いつも笑顔で……ありがとう(^.^)」

 2人で一生懸命練習した日々。グラウンドに戻ってくると誓った時の笑顔。思い出して泣きじゃくった。1人で立っていられなかった。「光の分も頑張ってね」。斎場で、誰かに掛けられた慰めの言葉だけが頭に残った。

 最後の夏の大会。帽子のつばには、権藤君から贈られたメールの言葉を書いた。触れると元気が出る。「ごんちゃんは最後まで病気と闘った。僕も負けられない。ごんちゃんの分まで生きるんです」

 第93回全国高校野球選手権埼玉大会が9日開幕する。東日本大震災が起きた今年、悲しみや苦しみを乗り越え、感謝の気持ちを胸に大会に挑む選手を紹介する。

東日本大震災関連のボランティアの経験

ある…37校
ない…122校

(今大会参加校への監督アンケートから)

 「震災直後は停電のため、電車通学の生徒が登校できなかった」など、ボランティアどころか部の活動すらできないチームもあった。

◇部員数が多いチームベスト5

(1)大宮東…120人
(2)春日部共栄…111人
(3)埼玉栄…110人
(4)春日部…105人
(5)聖望学園…99人

(県高野連の部員登録より)

朝日新聞埼玉版)