壁を越えろ あと一歩の甲子園<2>市川口高校

◇4度目は歴史つくる

 市川口は過去に決勝進出は3度。だが、いずれも準優勝に終わり、甲子園出場を目前で逃し続けた。初めて決勝に進出したのは1982年。斎藤雅樹投手(現巨人コーチ)を擁し、前評判は高かったが、決勝で熊谷に1−3で敗れた。

 2度目は88年。ノーシードながら大宮東など強豪を次々と破り、決勝で市浦和と対戦した。当時の主将で現在は母校で実習助手をしている高橋誠さんは「決勝はうちが勝つと言われて、心にすきがあったのかも」と振り返る。準決勝までの一球に対するがむしゃらさや執着心が決勝では消え、1−7で完敗した。

 3度目の正直と挑んだ97年は、同年の選抜8強の春日部共栄との決勝。八回無死一、二塁の好機を逃すと、その裏に内野安打で決勝点を許し、0−1で惜敗した。

 このチームは秋、春ともに地区予選で敗退。当時赴任3年目だった神谷進部長は「一番力のなかった子たちが一番甲子園に近い試合をした」とノーシードからの躍進を懐かしむ。逆転サヨナラ勝ちした準々決勝の埼工大深谷(現正智深谷)戦は今も新入生にビデオで見せるという。

 2005年3月まで約45年間、チームを指揮し、3度の準優勝に導いた内山清前監督は元阪神プロ野球選手。現在は川口市内でスポーツ店を経営する。「運が良かったのはあるが、決勝まで行ったからには勝ちたかったので悔しい。だが、ベストを尽くして負けたら相手が上手ということ」と悲願を後進に託した。

 後を継いだのは内山前監督の教え子の長井秀夫監督。社会人のNTT関東(現NTT東日本)でプレーし、その後は監督も務めた。「高校野球の監督になりたかった。アマ野球の原点である甲子園は指導者のロマンでもある。野球で育ててもらったので野球で恩返しがしたい」と熱く語る。

 「今年のチームは今までと比べてもバランスが取れている」と同監督。地元出身のエース平山は「公立で甲子園を目指したかった」。主砲の田村も「自分たちが歴史をつくるんだ」と力を込める。3度目ならぬ4度目の正直へ。初戦の相手はAシード花咲徳栄といきなりヤマ場だが、苦難を知る後輩たちが、また一から高い頂点を目指す。

埼玉新聞