「決勝対決かなわずともに16強」兄との誓い果たせず 大井・島津選手

 「決勝で会おう」―。兄弟で約束した夏があった。大井の遊撃手・島津拓真選手(2年)と、兄で浦和学院の主将を務めた裕真選手(3年)。兄弟そろって甲子園を目指した最初で最後の夏だった。前日に敗退した兄は大舞台での活躍を弟に託し、弟はその思いを胸に必勝を誓った。夢はともに5回戦でついえたが、2人は最大の好敵手にして一番の理解者だった。

 九回裏、5点差を追う大井の攻撃。ベンチから祈るように仲間の打席を見詰める島津選手の手には、兄が身に着けていた白いお守りが握り締められていた。

 夏の大本命と言われていた浦和学院は前日、聖望学園に惜敗。兄はその夜、多くを語らなかったが「後はおまえらに任せるよ。おれらの分も頑張ってくれ」と、お守りを手渡した。弟には兄の悔しさが痛いほど分かった。

 兄は小学3年生から、弟は2年生から、地元の軟式チームで野球を始めた。「いっこ上で、いつも一緒。兄貴はあこがれの存在」。そんな拓真選手が、兄とは違う高校に進学した理由。それは県大会での頂点対決の夢を2人で描いていたからだった。「夏の決勝で兄ちゃんとやる」。上級生とのし烈なレギュラー争いを経て、弟は1年生の秋からレギュラーを勝ち取った。

 負けた兄の分までと臨んだ埼玉栄戦。お守りはズボンの右ポケットに忍ばせた。八回、4巡目でこん身の左前打。だが1点は遠かった。ゲームセット。前の晩、テレビで見た兄のプレー、涙、交わした言葉。いろいろな思いが去来した。「3年生と一緒に甲子園に行きたくて。兄ちゃんを連れて行きたくて…」。それ以上は言葉にならない。地面に突っ伏して泣いた。

 試合後、弟は兄に短いメールを送った。

 「負けちゃってワリぃ」(拓真)

 返信はすぐに来た。

 「頑張ってくれてありがとな。おまえには来年がある」(裕真)

 2人で追った夢は、弟に託された。たぎる闘志を胸に秘め、明日からまた一つ一つ、練習の日々を積み重ねていくつもりだ。今日流した涙を最高の笑顔に変えるために。

埼玉新聞

◇快進撃を支えたチームの元気印 大井・山田充主将

 「まだ俺がいるぞ!」。5点を追う九回、代打に指名された大井の主将・山田充は、火が消えかけたベンチを振り返って叫んだ。3試合すべて逆転で勝ち上がってきた“ミラクル大井”。ここまでチームを引っ張ってきたのは、背番号10の「元気印」だった。

 「入学時から主将にと思っていた」と丸山桂之介監督が話すように、まじめな性格で、仲間の信頼が厚かった。だが、技術面で及ばず、正選手に対する気後れから時に「自分でいいのか」と自問することもあった。

 高校生活最後の打席はショートフライ。ミラクルもついえたが、泣き崩れる仲間の肩をたたき、最後まで涙は見せなかった。チームを裏から支えた元気印の矜持(きょうじ)だった。

(読売新聞埼玉版)

◇「逆転の大井」4度目ならず 足を痛めながら好打・指宿亮太選手

 4度目の逆転勝利は達成できなかった。

 3回裏2死一、三塁。大井の指宿亮太(3年)は、内角高めの直球を打ち返した=写真。捕球した三塁手からの送球よりわずかに早く、一塁を駆け抜けた。その間に三塁走者の横田敬介(同)が生還した。

 指宿は、初戦で左足をねんざし、さらに4回戦の死球で右足にも違和感があった。それでも、「2点を先制された後だったので、流れを引き戻すためにも絶対に1点取りたかった」と必死だった。

 これまでの3試合は、すべて先制されながら、しぶとく食らいついて逆転してきた。この日の相手はAシードの埼玉栄。昨秋の県大会で、負けはしたが延長13回まで接戦を演じた。点差が再び離れても「まだいける」と思った。

 そして8回裏、最大の見せ場をつくった。

 先頭の石野拳志郎(同)が死球で出塁すると、次打者の島津拓真(2年)が左前安打を放った。続いて打席に入ったのは指宿。「つなげばいい。大きい当たりはいらない」と中前に打ち返した。無死満塁とし、好機を広げた。

 だが、ここで開き直った埼玉栄のエース芹沢拓也(3年)に直球勝負を挑まれ、連続三振などで力負け。指宿は「秋は接戦だったから悔しかった。今日は絶対に勝ちたかった」と、無念の涙をこぼした。最後まで「逆転の大井」らしい戦いを見せ、球場を去った。

朝日新聞埼玉版)