「仲間と一緒に」懸命な応援 富士見3年・長崎圭輔投手

 「ナイスバッティング」。ベンチから、ひときわ大きな声で声援を送った。右手にメガホン。左手にはギプスをはめて。

 右の横手投げ。初戦2日前、打撃練習中に球が左手首付近に当たった。打撲と思い病院に行かなかった。先発予定だった3回戦。試合前のキャッチボールで違和感を持ち、登板を控えた。試合後、病院で骨にひびが入っていると診断された。

 入学時、1年の投手陣の中でエース格の存在だった。1年の終わり、肩を壊して手術した。それから半年間はリハビリに専念。最後の夏は必ず登板したい。陸上部に交じって走り込み、必死に練習した。なのにまたけがをするなんて。学校のトイレで悔しくて泣いた。

 4回戦。テーピングすれば大丈夫と医師から聞いた監督が、六回からの登板を認めてくれた。夢にまで見たマウンド。しかし、激痛が走り、2死満塁で降板。骨が折れていた。

 この日の春日部共栄戦は、チームに迷惑をかけたとベンチ入りをためらった。「最後まで一緒に戦おうよ」。仲間に声をかけられた。勝利のため誰よりも必死に応援したが、チームは惜敗した。

 「故障に苦しみ、周りにも迷惑をかけた。でも、1度でも試合に出られて本当によかった」。大学でも投手を目指すつもりだ。

毎日新聞埼玉版)

◇勝負だ!強力打線に決めの変化球 三塁手から転向 富士見・竹生和也投手

 帽子のつばの裏に「仲間を信じる」の文字。富士見のエース竹生和也(3年)は3回、黒いペンで書き込んだ言葉をじっと見つめた。1死満塁のピンチを迎えていた。

 打席には、春日部共栄の5番打者・柳川淳(同)。安打を許せば、点差は一気に広がる。「自分の一番の勝負球で」。カウント2―1からの4球目、迷わず腕を振り切った。スライダーが鋭く曲がり落ち、ひざ元に決まった。見逃し三振。次打者も一ゴロに打ち取り、踏みとどまった。

 「抽選会から、この日に照準を合わせてきた」と監督の山崎警(44)。4回戦を終えて打率4割7分3厘、1試合平均10得点の強力打線を相手に、万全の状態で送りこんだエースが立ちはだかった。

 「緊張しまくった」という1回は、制球が定まらずに2点を許したが、「全力で変化球を低めに集めようと気持ちを切り替えた」と竹生。3種類のスライダーにカーブ、シュートを織り交ぜ、ピンチを再三しのいだ。4回以降、許した安打は3本だけ。好試合を演じてみせた。

 中学時代は3年間、控えの三塁手だった。高校に入ってもトンネルすることが多かった。それが1年生の秋、地肩の強さを買われ、山崎から投手転向を勧められた。

 最初はストライクが全く入らなかった。だが、冬場の走り込みで体を絞り、筋力をつけた。多彩な変化球も、自らの努力で身につけた。

8強入りは、かなわなかった。でも、最後の夏に今大会屈指の好投手・中村勝(3年)と投げ合えた114球に悔いはない。「富士見に入って良かった。このユニホームは一番の宝物」。滴る汗が光った。

朝日新聞埼玉版)

◇県立で甲子園へ 富士見1年・森洸太二塁手

 五回、春日部共栄のエース中村勝の直球を思い切り振り抜いた。打球はイレギュラーバウンドし、右翼前へ。「塁に出ることしか考えていなかった」。レギュラー唯一の1年生がチーム初安打を記録した。

 山崎警監督いわく、「うちの初めてのスター選手」。そんなルーキーが県立の富士見を選んだのにはわけがある。

 中学時代、浦和シニアの中心選手として全国ベスト8進出の原動力になった。多くの私立高校から声をかけられたが、こんな考えが脳裏をよぎった。「埼玉の甲子園出場校は私立ばっかりだな」

 「それなら県立で甲子園に行ってやろう」。思いは強い決意に変わり、チームの仲間とともに、富士見への進学を決めた。

 練習環境では私立にはかなわない。それでも、「みんなでアドバイスしあったり、工夫して補っている。選んだことを後悔はしていない」と話す。

 試合後、「今回は負けたけど、みんなで必ず甲子園に行きたい」と前を見た。目標を果たすチャンスは、まだ4回もある。

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