「最高の夏」忘れない 川越西・鎌田選手 先制打も敗退

◇チームに両親に「感謝」

 「監督、チームメート、そしてこんな状況でも野球を続けさせてくれた両親に感謝したい。ありがとう」。東日本大震災による福島第1原発事故で福島県立双葉高から転校した川越西3年、鎌田尚幸選手の最後の夏が終わった。チームは4回戦で昨年ベスト4の川越東に2−4で逆転負け。この日、福島大会で双葉高も敗退し、旧友と甲子園で再会する目標はかなわなかったが、周囲の人たちの支えによって白球を追い続けた「感謝」の夏だった。

 古豪双葉高で5番打者だった鎌田選手のバットから快音が響いた。0−0で迎えた五回、川越西は1死一、二塁のチャンスをつくり、打席には8番サードで3試合連続先発出場の鎌田選手。1打席目は三振に倒れ、迎えた2打席目だった。2球で2ストライクと追い込まれたが、3球三振に倒れた前の打席を思い出していた。

 「3球勝負でくるだろう。直球で押してきていたので狙っていった」。3球目の直球を捕らえると、打球は左中間へぐんぐん伸び、外野の間を抜けた。三塁打で2人がかえり、川越西が先制した。

 打撃についてずっと悩んでいた。転校後すぐの練習試合では4番を任されるなど期待されていたが、本調子には程遠く、打順は徐々に下がった。「思うように結果が出なくて足を引っ張っていた。自分がレギュラーとしてこの舞台に立っていいのか」と悩んだこともあったという。

 それでも初戦の2回戦こそ無安打だったものの、その後は筒井監督のアドバイスなどを受け、3回戦ではタイムリ二塁打、この日は貴重な先制2点三塁打を放った。「ベンチでみんなが和ませてくれたのでリラックスできた」。塁上で派手なガッツポーズをつくった。

 先発マウンドに立った2年生の湯本雅俊投手が八回まで得点を許さず2−0のまま最終回へ。チーム最高成績に並ぶベスト16へあとアウト三つに迫った。しかし、九回表に川越東に5安打を集められ4失点。まさかの逆転を許し、健闘及ばず2−4で敗れた。

 試合後のベンチ裏、仲間とともに悔し涙に暮れる鎌田選手がいた。筒井監督は選手を集めてねぎらいの言葉を掛けた後、鎌田選手に向かい、「川越西に来てくれてありがとう」と声を掛けた。毎試合応援に駆け付けた母の紀子さんは「川越西の野球部の皆さんには本当に感謝です。ここで野球がやれるだけ幸せ」と話した。

 鎌田選手が川越西の野球部で過ごしたのは4カ月。しかし、最後はチームの一員になれたと感じている。主将の沖山隼平選手は「本当に楽しかった。カマ(鎌田)がいなかったら、こんないい試合はできなかった」。鎌田選手は「つらいときもあったけど、毎日野球ができることが楽しかった。チームメートが増えて、普通ではできない体験ができた。最高の夏だった」。

 18歳にとって震災で故郷を離れることはつらいことだった。双葉町にはいつ戻れるか分からない。しかし、少年はきっと忘れないだろう。埼玉で新たな仲間と出会い、掛け替えのない時間を過ごしたこの夏のことを。

埼玉新聞