狭山ヶ丘など16強 朝霞、シードに逆転勝ち

(18日・県営大宮ほか)

 第8日は3球場で4回戦8試合が行われ、狭山ヶ丘が小川にコールド勝ちし、22年ぶりに16強入りした。朝霞はDシード所沢北に5−3で逆転勝ち。南稜はDシード立教新座を6−3で下した。聖望学園はDシード川口に3−2で競り勝った。

 Aシード花咲徳栄は川越工を4−2で破った。Aシード上尾は越谷南に2−0で完封勝ちした。Cシード春日部共栄は久喜工に15−0でコールド勝ち。武南は久喜北陽を3−1で退けた。

 第9日は県営大宮など3球場で4回戦残り8試合が行われ、ベスト16が決まる。

◇仲間へ恩返しの快投 武南

 最後の打者を打ち取ると、それまでクールだった表情を少しだけ崩した。武南の左腕小川が、久喜北陽を2安打1失点に抑え完投。文句のつけようのない内容だった。

 少しアーム気味の変則投法。ただでさえ、タイミングが合わせづらいのに、右打者の膝元にキレのある直球とスライダーがずばずば決まる。「調子は良くなかった」と本人は謙遜したが、女房役の吉村は「リードしやすかった」と褒めた。

 以前から投手としての資質は備えていたが精神的なムラっけが邪魔をする一面もあった。それを象徴したのが、自身のボークで浦和実に0−1で敗れた春季地区大会。一時は野球を続けようか迷うほど落ち込んだが、自分の考えの甘さに気付いた。と同時に新井監督や仲間に励まされ、やらなかった道具の準備や周りへの声掛けも今では率先して行う。新井監督も「春以降は自滅しなくなった」と成長を実感する。

 「周りが守ってくれてありがたかった」。自分の投球よりも、まずは仲間への感謝を口にした背番号10。“恩返しの夏”はまだまだ続く。

◇10奪三振も報われず 久喜北陽

 「終盤は押せ押せで投げられたが…」。10奪三振の好投も報われず敗れた林。背番号18の2年生は試合後、うなだれた。

 武南打線に対し、四回までに3失点したが、五回以降は無安打に封じた。「ストレートの走り、切れとも今大会で一番の出来だった」と神田監督も評価した。

 「中盤以降、相手のバットにさえ触らせないような気持ちで投げた」と林。エース鈴木が故障で戦列を離れ、今夏は2年の尾上との二枚看板で挑んだ。「来年は一回り以上大きくなって戻ってくる」と誓っていた。

◇父の背を追い 成長刻んだ夏 川越工・根岸投手

 スタンドから父が祈るようなまなざしで息子を見つめる。マウンドには川越工のエース根岸。春の王者相手に自慢の速球を次々と投げ込み、接戦に持ち込んだ。

 根岸の父信明さん(43)はかつての同校のエース。大会屈指の投手として、1985年夏の埼玉大会では決勝まで勝ち上がって立教(現立教新座)に敗れた。根岸は父や兄の背中を追うように野球を始めた。

 高校進学は父と同じ門をたたいた。同校は85年以来、決勝に進んでいない。信明さんは「同じユニホームを着て、背番号1を付けてほしい」と名門復活を息子の右腕に懸けた。

 偉大な父を持つ息子の運命。周囲から「根岸の息子」と言われた。「自分にはちゃんと名前がある。自分は“根岸哲也だ”と言いたかった」。

 背番号1を背負った根岸は、自分の存在を示すかのように、真っ向勝負した。疲れから同点の八回に2点を勝ち越されたが、熊沢監督は「根岸はウチの大黒柱。最後まで託した」と交代させるつもりはなかった。

 敗戦が決まると、根岸は涙を流した。父の背中を追い掛けた最後の夏。「父を越えることはできなかった」。

 だが信明さんは言う。「成績で越えることはできなかったが、まだ先がある。大学に行って、自分を越えてほしい」

 成長した息子に、父は優しく語りかけた。

◇汚名返上の決勝打 花咲徳栄

 粘る川越工を何とか振り切り16強入り。2点リードの四回、「抜け球が多かった」といまひとつ調子の上がらなかったエース北川が2死から連打を浴びた。一、二塁のピンチを招くと、7番西田の打球を中堅手田中がファンブル、同点となる一塁走者の生還を許した。

 八回、1死二塁の好機で打席には田中。粘りの投球を続けていた川越工・根岸の甘く入った直球を左中間へはじき返し、決勝の適時三塁打。「自分の失策で失点したので、なんとか取り返したかった」と汚名返上に胸をなで下ろしながらも、反省を忘れなかった。

◇互角に渡り合い誇り 川口

 試合後のベンチは涙に笑顔、選手たちの表情が入り交じった。春ベスト16の川口が夏の甲子園3度出場の聖望学園と互角に渡り合った。

 一回に橋本の適時打で先取点。1−1の七回に2死一、二塁で中村の内野安打の間に二塁走者の青山が本塁を陥れた。再びリードを奪ったが、その裏、守備の乱れなどから2点を献上し、屈した。

 28歳の冨沢監督は「素晴らしい試合だった」と話した後、「もっとこの子たちと野球がしたかった」と肩を落とした。監督就任後、初めて1年生から見てきた代だった。

 「聖望だから」と特に意識はしなかった。自分たちの野球をやるだけ。攻守交代は全力疾走。そして「常笑野球」。「チームを誇りに思っている」と主将の小暮。「川高ナイン」はすがすがしさを残し、球場を後にした。

埼玉新聞