乗り越えて2011夏(3)本庄一・伊藤ヴィットル君

◇留学生球児と支える「兄貴」

 「なんで怒られているんだろう」。グラウンドに怒鳴り声が響き渡っているが、日本語が分からない。ライバル意識むき出しで、必死に練習する選手たちに驚いた。投手が真っ向勝負を挑まず、変化球を多用するのには戸惑った。

 本庄一の伊藤ヴィットル君(1年)はブラジルからの留学生だ。中学では母国の全国大会で優勝チームの主軸として活躍した。「レベルの高い日本に行きたい」。出国直前に東日本大震災が起き、友人から考え直すよう説得されたが、夢は揺るがなかった。

 言葉が通じない心細さ。故郷が恋しい。そんな時、支えてくれたのが坂元コディ君(3年)だった。9歳まで米国で過ごし、英会話ができる。声の出し方からブラジルにはない上下関係まで丁寧に教えてくれた。

 坂元君は小学4年生のとき家庭の事情で来日した。日本語が理解できず、学校でも少年野球のクラブでも怒られ、泣いてばかりだった経験を持つ。

 また、小児期から発症し、毎日のインスリン注射が欠かせない糖尿病の持病がある。入学直後には激しい練習が原因で、就寝中に全身がけいれん。ベッドから落ち、腰の骨にひびが入るけがをした。その後も度々けいれんに襲われている。

 つらい過去があるからこそ、後輩に優しくなれる。「右脇が痛い」と言われれば、寮の部屋でマッサージをしてあげる。水分補給をするふりをして須長三郎監督の言葉を盗み聞きし、英語で教えてあげることもある。グラウンドの端から端まで全力疾走して通訳するのも役目だ。

 夏の大会のベンチ入りは難しそうだが、「ヴィットルたちの面倒を見るのは僕の仕事」と割り切る。大学でも野球を続け、将来は「外国の子どもたちに野球を教えたい」と思っている。

 来日して3カ月が過ぎ、日本の生活に慣れてきた伊藤君。少しずつチームにとけ込み、片言の日本語とジェスチャーで意思疎通ができるようになった。今は野球が楽しいと感じる。

 春の地区大会では1年生で三塁手を任され、1番打者としてチームを引っ張った。仲間と敗戦の悔しさも味わった。

 夏の大会が終われば、坂元君は引退する。まだわからない言葉はたくさんある。恩返しもしたい。頼れる兄貴と少しでも長い夏を送るため、今日もバットを振り続ける。

◇野球部員数の分布

 県高野連によると、県内の硬式野球部員の数は約7100人。前年より微増した。各市では、さいたまや川口などの南部地区と、春日部や所沢、川越など私鉄やJRの沿線の都市部が多い。一方、減少傾向にあるのは秩父や本庄、深谷などの公立校。

◇震災のため活動休止した期間

 登校禁止などで練習が休みとなり、春の地区大会への調整が遅れたチームも多い。出場チームへの監督アンケートによると、3月末まで活動できなかったのは12チーム。4月下旬まで自粛したケースもあった。

朝日新聞埼玉版)