明日への絆:第93回埼玉大会(3)本庄一・坂元コディ選手

◇チームの「懸け橋」に 通訳で留学生サポート−−坂元コディ選手(本庄一・3年)

 「チームの懸け橋になりたい」。本庄一の3年生、坂元コディ選手(17)が今年新たに見つけた目標だ。米国テネシー州生まれ。米国人の父と日本人の母をもち、小学4年の時に来日した。甲子園に憧れて入学した本庄一で、持病の糖尿病を抱えながらも仲間に支えられプレーを続けている。最後の夏はベンチ入りできないが、「懸け橋」として仲間に感謝の思いを伝える。

 今年3月、留学生が野球部にやってきた。ともに日系ブラジル人で1年生の平良(たいら)チアゴ投手(16)と伊藤ヴィットル遊撃手(16)。本庄一で投手として活躍し共栄大に進んだ伊藤選手の兄・ディエゴ選手の背中を追って来日した。母国語はポルトガル語。英語も話せるが日本語はまだ不自由なため「監督やコーチの指示が分からない時がある」(平良選手)という。

 「さっき監督はこう言ってたよ」「分からないことは?」。2人の留学生が首をひねっていると、坂元選手が英語で声をかける。自らも来日時は日本語が話せなかった。小学校では仲間外れにされたこともあったが、帰国児童の友達に助けられた。「言葉がわからない苦労は知っている」と話す。

 坂元選手には野球を続ける上でハンディがある。小学3年の時に糖尿病と診断され、1日4回のインスリン注射は欠かせない。激しい運動を続けると目まいなどの症状が出るためユニホームのポケットにはブドウ糖を補給する薬を入れている。就寝中に意識を失い救急車で搬送されたこともあった。

 そんな自分を、仲間は「体調、大丈夫か」と気遣い支えてくれる。いつか仲間に応えたいとの思いを抱き続けていた。

 そして今春、2人の留学生がチームに来た。「みんなに感謝の思いがある。通訳として留学生をサポートすることでちょっとは役に立てているかな」と笑う。

 坂元選手と留学生2人は同じ野球部の寮で生活している。来日直後、投手の平良選手が「もっと早くうまくならなければ」とのあせりから調子を崩した時、坂元選手から「ただ投げればいいんだよ」とアドバイスされ、心が軽くなったという。平良選手は「いつも明るく接してくれてブラジルにいた時のことを思い出せる」と笑う。

 2人の留学生と接するうち、坂元選手には通訳の仕事をしながら、野球選手を育てるという夢もできた。「好きな野球にずっと関わっていきたい」=つづく

毎日新聞埼玉版)