出会いが運んだ喜び 転入の川越西高・鎌田選手

 春の高校野球の埼玉県西部地区大会1回戦を2日後に控えた4月12日、川越西野球部の練習は熱気を帯びていた。長かった冬場の練習の成果を試す時だ。

 そんな中、指導中の筒井一成監督(39)はグラウンドのフェンスの外から練習を見つめる父子の姿に目を留めた。気になって声を掛けると、大震災で被災して埼玉に引っ越してきて、息子は野球をやっていたという。鎌田尚幸選手と父・寿男さんだった。

 筒井監督は鎌田選手を練習に誘った。「じゃあ一緒にやるか。体もなまっているだろう。何でもいいから道具を使っていいよ」。その申し出をありがたく受け入れた。これが鎌田選手にとって、新しい仲間との出会いだった。

 筒井監督は見ず知らずの鎌田選手を練習に招き入れた意図について、「うちは明るい連中が多いし、僕もオープンなタイプ。軽い乗りだった」と明かす。同じ野球をやる者同士として、困っている人に手を差し伸べるのは自然なこと。「何だ、あの子、うちを受けるのか」。川越西の転入試験を受けることも後で知ったぐらいだった。

 鎌田選手が川越西野球部に魅力を感じた理由は、その「オープンな感じ」だった。他の高校を幾つか見て回った中で、第一印象でぴんときた。「練習の雰囲気を見て思った。ここなら途中から来た自分も受け入れてくれるんじゃないかって」。14日に転入試験に合格した後、16日から本格的に練習参加。学校には週明けの18日から通い始めた。

 「そのグラブかっこいいね」。主将の沖山隼平遊撃手(3年)は早速話し掛けた。双葉高で三塁手だった鎌田選手のグラブの色と形が、同じ内野手として理想的だったからだ。「初めは緊張していたけれど、それで打ち解けた。気を使ったことはない。いつでもウェルカムです」

 最初にキャッチボールをした副主将の安田拓真三塁手(3年)はノックで俊敏な動きを見せる鎌田選手に、「ぶっちゃけ自分は負けたなと思いました」と笑う。「はらくっちー(おなかいっぱい)」。もう一人の副主将、小林正弥捕手(3年)は方言を聞き出してふざけ合った。

 福島翔吾二塁手(3年)は帰り道が一緒だったことから、いつも居残りで守備練習をするようになった。「もう少しグラブを立てた方がいいよ」。互いに教え合った。“カマ”という新しいあだ名もついた。

 大震災から1カ月、泥にまみれて野球を楽しんでいる。ブランクはあったが、それが野球への思いを深めた。「震災によって野球ができなくなった人もいる。自分はまだ恵まれている」。白球を追い掛けながら、純粋に野球ができる喜びをかみしめていた。

埼玉新聞