「甲子園で再会」約束 転入の川越西高・鎌田選手

 5番サードで副主将。双葉高野球部で鎌田尚幸選手は中心的存在だった。苦渋の選択の末に故郷を離れ、埼玉の地で白球を追う日々の中でも、福島に残った主将の岩田智久選手(3年)ら仲間のことを片時も忘れたことはない。

 双葉高は夏3回の甲子園出場を誇る福島屈指の伝統校。最後に出場した1994年から17年間遠ざかっているが、昨春は福島県大会で3位に入り、16年ぶりに東北大会に出場。復活を印象付けた。それだけに鎌田選手は「自分たちの代で野球部を終わらせたくない。先輩たちが達成できなかった甲子園に行きたい」という思いが強かった。

 埼玉に転住する前、鎌田選手は父の寿男さんとともに野球部の早期活動再開のために動いていた。寿男さんは双葉リトル事務局長であり、社会人のオール双葉野球クラブの総監督も務めるほど根っからの野球好き。地元の星・双葉高のために保護者会、後援会、OB会に働き掛けた。

 鎌田選手も部員一人一人に連絡を取って意思を確認した。田中巨人監督(38)に野球部員全員の気持ちを伝えようと決めていたからだ。だが、福島原発事故で鎌田一家も福島を離れざるを得なくなった。寿男さんは「伝統校でやらせてあげたかったが、学校の存続も分からない状態だった」と残念な思いを吐露した。

 双葉高は現在、福島県内に五つのサテライト校(他校施設を借りての授業)に分かれている。授業が再開したのは5月の連休後。野球部員はいわき市郡山市福島市の3校に分かれた。部員27人中残ったのは15人で、全員が集まって練習を再開したのは4月29日。今でも全体練習ができるのは週末だけだ。

 サテライト校への通学を最終的に意思表示する日、既に埼玉に来ていた鎌田選手は岩田主将にメールを送った。

 鎌田「サテライトに通うのか?」。

 岩田「そうだよ。また尚(幸)と野球がやりたい」。

 鎌田「(部員の)人数は足りているのか?」。

 岩田「2年は転校が多いから、夏はほぼ3年だけになるね。そっちでも頑張れよ」。

 鎌田「甲子園で会おう」。

 岩田「絶対だからな」。

 2人はそれぞれの県大会を勝ち抜き甲子園で再会することを誓い合った。「双葉で2年間頑張ってきて、ここで終わるのは悔しかった。川越西で上に行ければ戦えるかもしれない」。鎌田選手は川越西野球部と双葉高野球部の二つの心を持って戦っている。

 川越西を卒業後したら、鎌田選手は就職して地元に戻ろうと決めている。希望はJR東日本の仙台支社。福島県も傘下に入る。「小さいときから電車にあこがれていたし、震災で被害を受けた東日本に何らかの形で携わりたい」。この夏で野球生活に区切りをつける。だからこそ最後の大会に懸ける思いは人一倍だ。

埼玉新聞