2011プロ野球 埼玉の新人選手(下)鶴岡賢二郎捕手

 伝説の決勝戦の主役だった。2005年7月29日。夏の甲子園出場を懸けた春日部共栄埼玉栄との埼玉大会決勝は、壮絶な戦いとなった。九回2死満塁。追う点差は3。これ以上ない場面で、主将で4番の大黒柱は起死回生の同点三塁打を放った。チームは逆転勝ちし、8年ぶりの甲子園出場に大きく貢献した。

 甲子園の初戦で大阪桐蔭に敗れたが、最速150キロの大会注目の左腕辻内(巨人)から本塁打を放ち、アジアAAA選手権の日本代表に選出。正捕手としてアジア制覇に貢献した。

 高校卒業後は日体大に進んだが、監督の方針と合わず、1年春の公式戦を最後に捕手としての出場機会がほぼなくなった。華々しい経歴からかけ離れた2軍暮らしを余儀なくされることになった。

 私生活では1年の春、母・美沙子さんががんで急逝した。父・茂昭さんは息子に野球に専念させようという親心から闘病生活を知らせていなかったという。突然の悲しい別れに、「当時、母とのプロに行く約束を果たそうと、必死にやっていた。父の気持ちは痛いほど分かった」と振り返る。

 それだけに、不遇な大学4年間を終えても、プロへの情熱は衰えなかった。1年でドラフト会議に指名される可能性に懸け、四国・九州独立リーグ愛媛マンダリンパイレーツにトライアウトで入団。後期リーグからレギュラーをつかみ、大学4年間のブランクを埋めるように貪欲にプレーした。野球に取り組む姿勢が評価され、高校時代から追い続けた横浜スカウトの目に留まる。

 ドラフト会議では最後の最後、横浜の8巡目で指名された。試練を乗り越えてようやくつかんだプロの夢。「今は少しでも父を楽にさせたい。支えてくれた人たちのためにも、勇気を与えられる選手になりたい」と抱負を話す。最後まで諦めなかった男に野球の女神はそっとほほ笑んだ。

埼玉新聞

※鶴の正式な表記は雨冠に鶴です