明日への絆:第93回埼玉大会(2)浦和東・猪狩優樹捕手

◇甲子園で「再会」したい ふたつの母校の誇り胸に−−猪狩優樹捕手(浦和東・2年)

 「グラブも持ってこられなかった。これは、双葉高校を感じられる唯一のものです」

 県立浦和東高校のグラウンドで、2年の猪狩(いがり)優樹捕手(17)は練習着の左胸に目をやった。緑色の文字で「双葉高校 硬式野球部」とある。福島県立の同高は、甲子園に3度出場した強豪校だ。

 浦和東でも、この練習着に袖を通すのは着慣れているからばかりではない。練習がきつくて怠けそうになった時、頑張っている仲間の姿を思い出すからだ。

 自宅は、福島第1原発から20キロ圏内の富岡町にある。「あの日」は双葉高校の校庭で、バッティングピッチャーをしていた。練習着のまま母や祖父母と一緒に避難し、親類を頼り埼玉にたどり着いた。現在は、震災前から県外で単身赴任をしている父を除き、家族でさいたま市内の県営団地に暮らす。

 双葉高では捕手を務める傍ら、昨秋の県大会では先発投手も任されたこともあり、チームの要となっていた。

 しかし、震災によって双葉高は再開の見通しが立たず、周辺に避難した生徒たちは別々の学校に分散して授業を受けるようになった。

 長引く避難生活で、「家族に負担をかけないか」と野球を続けることに自信を無くしていた時、テレビで双葉高野球部が練習に励む姿を目にした。部員はずいぶん減っていたが、泥まみれの練習風景は以前のままだった。涙があふれ「野球がしたい」と心の底から思った。

 4月下旬に浦和東に転入を決めると、双葉高の田中巨人(なおと)監督に電話で報告した。「活躍を待ってるぞ」と励ましてくれた。

 福島県いわき市の高校に転入した元チームメートの言葉も気持ちを支える。「再会にするにはお互いに甲子園に行くしかないな」

 浦和東では、OBや部員がキャッチャーミットなどの用具を譲ってくれた。ナインは「双葉でどんな練習やってたのか教えて」「ボールを遠くに飛ばすにはどう打ったらいい」と声をかけてくれる。昨夏は初戦敗退だったチームの目標は3回戦突破。「みんな積極的でいいものを持っている。きっと勝てます」と胸を張る。

 浦和東は毎日の練習後に選手がそろって校歌を歌う。猪狩選手も大きな声で歌う。「双葉高の誇りを忘れず、浦和東の誇りも持っていきたい」。引き締まった顔はすっかりチームに溶け込んでいた。=つづく

毎日新聞埼玉版)