明日への絆:第93回埼玉大会(1)川越工・大浦裕太投手

 夏の甲子園を目指す第93回全国高校野球選手権埼玉大会が9日、開幕する。東日本大震災福島県から避難している球児、言葉の不自由な留学生を助ける球児……。仲間と支え合いながら一投一打にかける高校生の思いをつづる。

◇親友に誓った全力投球「福島で野球ができる日まで」−−大浦裕太投手(川越工・2年)

 「いつも全力で投げたい」。県立川越工の投球練習場で、2年生の大浦裕太投手(16)は投げ込みを続けていた。「全力投球」へのこだわりは、親友のプレーを思い出すからだ。

 大浦選手は福島県双葉町の自宅から、県立小高工(南相馬市)に通っていた。3月11日までは−−。

 地面が大きく動いたのは、野球部の練習中だった。近くの倉庫が崩れ、屋根瓦が落ちてきた。両親や妹、同居の祖父母と連絡がつかず、体育館で一夜を過ごした。翌日、小学校に避難していた祖父母と妹に会えた。10日近くたって所沢市の親類宅に移った後で、双葉町職員として多くの町民とともに埼玉県内に避難してきた両親と再会した。

 震災後間もなく、同じ高校の親友が津波で流されたと、別の友人から聞いた。震災の数日前に学校で軽くあいさつを交わしたのが最後だった。小学4年の時、自分がリトルリーグに誘った。同じ中学に進み、センターだった親友は外野に抜けた打球を「アウト」を狙い、一塁手だった大浦選手をめがけて全力で返球した。「ミットに吸い込まれるような重みのある球だった」。プレーが決まると、ベンチでグラブを合わせた。

 大浦選手は高校で投手になった。親友も同じ学校だったが野球部には入らなかった。理由を聞くと「高校野球をやる自信がない」とだけ話した。実際の思いはどうだったのか、知ることはできない。

 所沢市に住むようになり、周囲の大人たちが「3年は(故郷に)帰れない」と話すのを聞き、川越工への転入を決めた。「埼玉で野球の技術をつけ、小高工の仲間に成長した姿を見せたい」

 5月初旬には福島県内にいる小高工のチームメートと電話でたわいのない話をして笑い合った。最後に「頑張れよ」と励まされた。川越工では、コーチの指導でサイドスローの習得に励む。

 「自分はコントロールを気にして全力で投げていなかった。全力プレーをしていなかった」。親友の返球を思い出し、自分を奮い立たせる。何より一球一球全力で投げようと思うようになった。

 震災後には夢も変わった。町の発展のために福島第1原発で働くことを目標にしていたが、今は大学に進学し、人々の生活が便利になるような機械をつくりたいと願う。

 新しくできた川越工の仲間に双葉町について聞かれると、真っ青な海と星座の話をする。「もう一度、福島で野球ができる日に備えて頑張ります」=つづく

毎日新聞埼玉版)