よみがえれ上尾、熊商野球<4>今も一途な母校愛 商売の甲子園目指す

 「商売の甲子園を目指そうと思って」。熊谷商野球部OBでかつて同部コーチを15年間務めた橋本哲夫は、熊谷市内で居酒屋「甲子園」を営んでいる。夜のとばりが降りると、すぐに店内はジョッキを手にした酔客の野球談義でにぎやかになる。

 橋本は、故・斎藤秀夫の指導を受けて1965(昭和40)年に捕手として夏の甲子園に出場した。その後、20歳でコーチに就任。斎藤とタッグを組んで、チームを育てた。不動岡監督の富永明則や、熊谷商現監督の江原正幸は教え子。「当時は大柄な選手が多く、スラッガーがそろっていた」と懐かしそうに話す。

 35歳で居酒屋店主に転身。「素人が始めたわけですから苦労の連続。だけど、野球部時代の厳しい練習を思い出して頑張った」。やはりここでも、斎藤の名文句「やりゃあできるよ」の精神が心の支えだった。

 熊谷商が27年ぶりに4強入りした昨夏は、飲み物を差し入れたほか、捕手で主将の坂田翔太(当時)に配球などをアドバイス。62歳になった橋本は「熊谷商は実家ですからね。愛しているし、見守っています」。今夏も「何かしらの応援をしたい」と開幕を心待ちにしている。

 上尾の校舎から徒歩約5分ほどにある飲食店「喜いち郎」。店主は上尾野球部OBの熊谷健だ。在校当時、野本喜一郎は浦和学院に移って監督を務めていたため、直接指導は受けていない。新井浩(現大宮工監督)時代の球児だったにもかかわらず、名将の名前を付けたのは「新井監督が『神様』と言って野本監督を尊敬していたから。大監督ということで不安もあったが、今でも生きている名門の魂にあやかって付けた」と店名の由来について話す。

 16年間の板前修行は厳しかったが、新井から聞いた野本スピリット「我慢」を思い出して耐えたという。出店する際には屋号はすぐに決まったものの、思うような場所が見つからずに苦労した。探し疲れたころに、現在の場所を紹介されて「神様(野本)に導かれたのかも」と即決。34歳で開店した。

 桶川市出身だが、幼いころから上尾野球部にあこがれた。小学5年生だった82年には、選抜大会に出場した同部を応援するため、電車を乗り継いで友人と甲子園まで見に行ったほど。「とにかく格好がよかった」とほれ込み、自身も上尾入学後に同部に入部。二塁手などで活躍した。

 「初心忘れるべからず」と高校時代から変わらない坊主頭を貫く。休業日の日曜日は、上尾野球部OBでもある越川利明が監督の少年野球チーム「西上尾コンドルズ」のコーチを務める。「野球の楽しさを伝えたい。ここで強くなって、上尾に進学してくれれば」と熊谷。名門上尾の復活を願い、野本の教えを次世代へつむいでいく。(敬称略)

埼玉新聞