ベスト16が出そろう 高校野球埼玉大会

 第94回全国高校野球埼玉大会第8日は21日、県営大宮ほか6球場で4回戦16試合を行い、ベスト16が出そろった。富士見は鈴木が決勝タイムリーを放ち、Aシード埼玉栄を2−1で下した。Bシード川口は右腕高窪が大宮東を6安打完封し、34年ぶりの16強入りを果たした。

 熊谷商は松本の2ランスクイズで市川越に5−4で逆転勝ち。浦和実は上尾に7−5で逆転勝利を収めた。昨年覇者の花咲徳栄は5−1でDシード所沢北を下し、選抜8強の浦和学院は与野に五回コールド勝ちした。昨秋4強の聖望学園西武文理を6−1で破り、同じく春日部共栄は桶川に4−2で競り勝った。

 そのほか、Bシード春日部東が越谷総合に5−0で完封勝ち。シード勢は成徳大深谷、所沢商、狭山ケ丘、昌平が勝ち進んだ。ノーシードでは昨年8強の武南、正智深谷、坂戸西が5回戦に進出した。

 第9日は23日、県営大宮など3球場で5回戦8試合が行われ、ベスト8が決まる。

埼玉新聞

◇富士見がAシード破る金星

 富士見・小川圭太投手(3年)がAシード校の埼玉栄相手に8回1/3を投げて無失点の好投。2回戦で準完全試合を成し遂げた相手エース、本間大暉投手(3年)に投げ勝つ力投を見せた。最速は130キロにも満たないが、コントロール重視の直球がさえ、相手打線に目立ったチャンスを与えなかった。小川は「気持ちで負けたら終わりだと思った。自分を信じて投げた」と振り返った。次戦は昨年の秋季大会で敗れた聖望学園にリベンジを挑む。「絶対勝ちます」と意気込みたっぷりに話していた。

◇春日部東・若月が16強へ導く

 春日部東の4番・若月和也内野手(3年)の今大会初打点がチームに勢いをもたらした。2−0で迎えた8回1死二塁。この日、4回目の打席に入った若月は、甘めに入った直球を見逃さず中前に運んだ。3打席目までは、重圧からか動きが硬く振り遅れ気味。「リラックスしてバットを振ることだけ考えた」と無心で臨んだことが好結果につながった。これをきっかけにチームは5−0までリードを広げ、逃げ切り勝ちを収めた。初打点については「うれしいっすね。気持ちいいっす」と高校生らしい笑顔を見せた。

(日刊スポーツ)

◇“師弟対決”は川口

 大宮東対川口の「師弟」対決は、川口の鈴木将史監督(26)に軍配が上がった。大宮東出身の鈴木監督は3月まで、吉本博監督(46)の下でコーチを務めていた。選手時代を含めて6年間師事した鈴木監督は「感謝の思いを胸に臨んだ。勝つことができ、感慨も深い」と恐縮した様子。一方、吉本監督は「彼は研究心が旺盛。監督就任から3カ月で、よくぞ強豪チームを作り上げた。脱帽です」と賛辞を贈った。

毎日新聞埼玉版)

■4回戦

◎県営大宮

川口青陵
000001000=1
00012001x=4
坂戸西

【川】大平、松下−佐藤
【坂】長谷川、宇津木−湯川
二塁打 堀(坂)

越谷総合
000000000=0
01001003x=5
春日部東
【越】池田−三城
【春】小貝、丹羽−中村
二塁打 鈴木大(越)小貝(春)

埼玉栄
000000010=1
00100001x=2
富士見
【埼】本間、芝崎、佐藤大−高橋
【富】小川、大内−上条

◎市営大宮

与野
00000=0
0326x=11
浦和学院
(5回コールド)
【与】田中−内藤
【浦】佐藤、小島−林崎
二塁打 竹村、林崎(浦)

滑川総合
0000000=0
001015x=7
武南
(7回コールド)
【滑】永井、伊藤、谷住−和栗
【武】西村、森−藤園
二塁打 大島悠(滑)珍田(武)

東農大三
0010010=2
612000x=9
正智深谷
(7回コールド)
【東】石山、森田−吉田直
【正】鈴木、市村−金田
二塁打 池田(東)高橋、浅見(正)

上尾市

上尾
013001000=5
21400000x=7
浦和実
【上】菊池、五十嵐−田中
【浦】鈴木琢、早川−本田
本塁打 城戸(浦)
三塁打 長島、岡部(浦)
二塁打 本田(浦)

昌平
000001100=2
000000000=0
川越工
【昌】斉藤、広橋、山崎、斉藤−梶原
【川】高梨、小沢−鋒山
二塁打 岩立(昌)

桶川
000011000=2
00101020x=4
春日部共栄
【桶】加藤−上岡
【春】青木、西沢−田村
三塁打 田村(春)
二塁打 青木、鎌田(春)

◎熊谷公園

熊谷商
000002030=5
001020010=4
市川越
【熊】川崎−高橋永
【市】関根、秋葉−富岡
三塁打 川崎、太田(熊)島田(市)
二塁打 郡司、島田、丹羽(市)

栄北
000000200=2
00201001x=4
成徳大深谷
【栄】細野−大久保、岸山
【成】福島友−福島陽
三塁打 岸山(栄)福田(成)

西武文理
000100000=1
00042000x=6
聖望学園
【西】小沢、植竹、近藤−橋本
【聖】原田、小林佑−加藤、中島
三塁打 田中(聖)

◎市営浦和

川口
000120102=6
000000000=0
大宮東
【川】高窪−松崎
【大】渡辺−山中
本塁打 山口(川)
三塁打 丸山(川)
二塁打 関本2、小林、佐野(川)福田悠(大)

所沢北
001000000=1
40000001x=5
花咲徳栄
【所】小田−中沢
【花】高橋航、上田−若月
二塁打 若月、藤原(花)

朝霞市

庄和
00000000=0
00100042=7
所沢商
(8回コールド)
【庄】佐竹、大井、柴田−高橋隼
【所】千葉、渡会−金浜
二塁打 土屋、金浜、向野(所)

朝霞西
1000000=1
140112x=9
狭山ヶ丘
(7回コールド)
【朝】山口、斎藤−平林
【狭】紺野、坂倉−伊藤
二塁打 高橋(朝)多賀、宮崎(狭)

野球への情熱、心の糧に 川越工・大浦選手

 見知らぬ埼玉の地で迎えた“球児の夏”がまた一人終わった。川越工の大浦雄太選手(17)は福島県双葉町出身。東京電力福島第1原発事故の影響で同県南相馬市の小高工から昨年4月に編入した。未曽有の原発事故に翻弄(ほんろう)され、家族も仲間も遠く離れてしまった。しかし、野球への情熱だけは失うことなく、自らを支える心の支柱に。試合には出られなかったものの、流転を重ねた日々は心の糧になり、線の細い少年の心をたくましくさせた。

 「頼むぞ!」。ベンチで声を張り上げ続けた川越工の背番号13は最後まで笑顔を絶やさなかった。

 大浦選手は東日本大震災発生直後、双葉町職員の父富男さん(45)と母寿子さん(41)と連絡の取れないまま、友人の父親の車で避難。福島市の親類宅を経て、祖父母や3歳下の妹と共に所沢の伯母の家へ。今も両親は北本に居住し、離れ離れの生活が続いている。

 そんな逆境でも野球を諦めたことはなかった。昨年4月、川越工に編入して野球部に入部。「被災しているし、最初は気を使った」(大矢冬磨主将)が、周囲の心配をよそに本人はあっという間に溶け込んだ。今ではチームメートも監督も「最初からいたような感じ」と口をそろえるなじみぶりに。

 練習も人一倍熱心で、全体練習の後、毎日のように個人練習をしていた。大矢主将は「ほとんど最後まで残ってピッチングや走り込み、素振りなんかをやっていた」と振り返る。

 だが、埼玉で迎えた2回目の夏はベンチ入りしたものの、1、2試合目とも出番に恵まれなかった。この日の4回戦も、出場の機会は最後まで訪れなかった。それでもベンチから大きな声でナインを励まし続けた。本塁を踏むことができずにチームが惜敗すると大浦選手も試合後、ロッカー室で涙を流した。ベンチから出てきてからは気丈に笑顔を見せた。

 唯一の心残りは、憧れだった投手での夏の公式戦出場がかなわなかったこと。中学までは一塁手だったが、小高工1年の冬に志願して投手に。

 しかし、練習試合1試合の登板のみで1年生は終わった。2年の春と夏大会こそ、とひそかに期していたが大震災でかなえられず。「投手に関しては悔いしかない」。悔しさが思わず言葉になってこぼれた。

 この日、福島の母校小高工は3回戦を戦い、2−1で勝ち進んだ。3月に小高工と埼玉で練習試合をしたときには、シャツを交換。大会前には「甲子園で会おう」と電話で健闘を誓い合った。約束は守れなかったが、投手への思いを胸に大浦選手は「大学でも野球をやる」と言葉に力を込めた。

 そんな息子のひた向きさに、応援に駆け付けた父親の富男さんは「高校3年間、野球を続けたことを褒めてやりたい」。母親の寿子さんは、「息子に楽しませてもらった。本当にいい仲間に恵まれた」と涙ぐんでいた。

埼玉新聞

ライバルと競い、初本塁打 川口3年山口 伸久選手

 チームには「相手に敬意を払い、試合中はガッツポーズを自重する」との決まりがあるが、「つい、やっちゃいました」。公式戦では自身初の本塁打でもあっただけに、喜びを爆発させた。

 1−0で迎えた五回表2死二塁。雨天試合で負担が大きい投手のためにも「追加点が欲しい」と打席に立った。フルスイングした狙い球の直球は、左翼スタンドに。鈴木将史監督は「大事な場面でよく打った」とたたえた。

 2番打者だが「パンチ力もある」と鈴木監督。入学時は線の細い選手だったが、この1年間で体重を約14キロ増やしてパワーを付けた。春季大会前、左足を疲労骨折したが、黙々と上半身を強化。今大会前は毎日1時間以上の素振りと週4回のバッティングセンター通いで、スイングの鋭さも磨いた。

 努力の原動力になったのは、同じ川口・芝東中学出身の4番関本遊心選手(三年)の存在だ。中学時代から「今日は俺の方が打ったな」と競ってきたライバルで、この日は2人で8安打3打点と大暴れ。試合後は「打ちまくりました」とおどけてみせた。

 「次も『芝東コンビすげー』と言わせたい」。笑顔で甲子園への躍進を誓った。

東京新聞埼玉版)

「このメンバーで野球できてよかった」 川口青陵・大平投手

 坂戸西4−1川口青陵(4回戦、21日)

 3点を奪われるも、得意のストレートとカーブで踏ん張ってきた。しかし、降り続く雨は手元を狂わせ、甘く入った球を打たれて1点を追加された八回裏、交代を告げられマウンドを降りた。7番ながら自信の打撃で挽回を図りもしたが、最後までチャンスをものにできなかった。

 入部前の平成21年夏、先輩たちは県大会で4強に入る力を誇っていた。しかし、自分が入部した22年以降の3年間、公式戦で勝利したのは2年生の春季大会地区予選での1回だけ。チームを引っ張る3年生となった今年もこの大会まで一度も勝てないままで、エースとしてのふがいなさに悩んだ。

 だが、そんな自分を救ってくれたのは、チームモットーである「前向きに、仲よく」という言葉だった。試合で四球を連発するなどピンチを招いても、背中で聞こえるチームメートの「打たせていけ!」の声は大きな力となった。

 チーム全員がこんな気持ちで臨んだ最後の夏、結果は4回戦まで勝ち進み、「自己ベスト」を更新。「このメンバーで野球ができてよかった。ありがとう」。試合後、出てきたのは悔し涙ではなく、仲間への感謝の言葉だった。

産経新聞埼玉版)

4回戦突破、壁は厚く 所沢北・中沢良幸捕手(3年)

 試合終了のサイレンが鳴ると、崩れ落ちるように膝をついた。「あれだけ練習したのに、まだ足りなかったのか」。悔し涙があふれた。

 1年の秋から正捕手に抜てきされ、中心選手として活躍。しかし昨夏の大会前、左鎖骨を骨折。けがをおして出場したが4回戦で敗退した。「チームに迷惑をかけた」。今大会の最初の目標に「4回戦突破」を掲げた。

 花咲徳栄との対戦を前に、録画したビデオを繰り返し見たり、対戦した選手からも情報を集めるなど研究を重ねた。投手や打者の攻略法をリポートにまとめ、チームメートに配った。「情報があれば落ち着いてプレーできる」。自らに言い聞かせた。

 今年も4回戦の「壁」が立ちはだかった。試合後、禁じられていた炭酸飲料を仲間にかけ、そして抱き合った。「もう少し、みんなと野球がしたかった」。悔しさは、大学野球にぶつけるつもりだ。

毎日新聞埼玉版)

「10連敗」から強化 充実感 桶川・加藤竜也投手

春日部共栄4―2桶川)

 桶川の加藤竜也投手(3年)は試合後、目を真っ赤に腫らしながらも、表情には充実感が漂っていた。「欲を言えば、勝ちたかった。でも、最高の仲間に支えられて投げきった」

 春季県大会でベスト4に進出した昨年のチームと、常に比較されてきた。捕手で主将の上岡竜士選手(3年)は「10連敗からのスタートだった」と話す。新チームは発足直後、重圧につぶされそうになり、野球の楽しさを見失いかけた。それでも腐らず、「笑顔」を合言葉にやってきた。

 「ここで抑えたら、お前はヒーローだ」「バッターだけを見ろ」――。ピンチを迎えるたび、マウンドに集まる仲間に言葉をかけられた。自然に笑顔がこぼれる。「上岡のミットめがけて投げ込めば、あとは仲間が守ってくれる」。信頼感からコントロールが良くなり、強豪相手に一歩もひかない投球につながった。

 「気持ちが弱かった自分を、ここまで強くしてくれた仲間に感謝したい」。目にたまった涙がこぼれ落ちた。

朝日新聞埼玉版)

投手陣盛り立てる 埼玉栄・高橋亮介主将

 9回表2死。埼玉栄高橋亮介主将(3年)はこのまま試合を終わらせたくなかった。しかし、打球は痛烈な当たりだったが富士見の二塁手の真っ正面。選手たちが本塁近くに集まる中、一塁の手前でしばらく立ち尽くした。

 「実感がわかない」。試合後もしばらく気持ちを整理できなかった。

 同点に追いついた直後の8回裏。代わった佐藤大志投手(3年)を強気でリードしたが、見極められ四球を許した。2死にした後、打ち取ったと思った当たりは二塁手の前で大きく跳ね、中前に転がった。決勝点になった。

 先発は、2回戦の浦和東戦で無安打無得点試合を演じた本間大暉投手(3年)。暴投で1点を許したものの、この日与えた安打は1本だけ。

 「カリカリしやすい性格をうまくなだめてくれる」。本間投手が話すように、苦しくなるとマウンドに駆け寄って間をとり、リラックスさせた。細淵守男監督も「投手陣をリードし続けてくれた」と話した。

 しかし、打撃が精彩を欠いた。4打席に立っていずれも凡退。追いかける苦しい展開のなか、得点に結びつく当たりは出なかった。

 春季県大会で準優勝し、関東大会では4強入り。主将として、重厚な投手陣をリードする捕手として、チームを甲子園へ導きたいという思いを誰よりも感じていた。それだけに「打てなかった。申し訳ない」と言葉少なだった。

朝日新聞埼玉版)